》会社の「コロラド」(三、七二八トン)が金門湾を解纜したのは一八六七年(慶応三)一月元旦のことだった。彼女に北太平洋最初の横断汽船たる名誉はめぐまれてなかったが、そもそも太平洋横断をはじめから予定してカリフォルニア黄金狂時代に生れ出たこの会社の船としては、彼女は初志を――あまりにも遅く!――遂げた最初のものである。
 サーヴィスは月一回、姉妹船に、China, Japan, America などがあった。いずれも図体は四千トンにちかい、しかし木造の、使い古した単式機関両輪船で、大西洋上の鉄造複式機関船にくらべてまさに前世紀の遺物である。サンフランシスコ横浜間二十二日、横浜香港間七日、横浜碇泊日数をいれて全コース三十日――十数年前の、米国海軍委員会報告書の予定にすら足りない!
 しからばはじめて北太平洋を横断した汽船――商船――は資料について首をひねるほど小さな船だ。370 トンと記された活字に誤がないものなら、これは内乱最中、一八六二年の米国そのものの焦燥をおよそうらさびしく象徴したものというほかはない。
 文久二年の横浜寄港船名表中に、
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船名      Joh
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