留五郎と岩吉が揚々と引き揚げて行った後は、度を失った一同が、恐る恐る上眼遣《うわめづか》いに、伝七をぬすみ見るばかりであった。
「じゃァ旦那。あっしはこれから、裏庭を一と回りするから、まだだれも外へ出ちゃァならねえが、仏様のことにでも、取り掛かンねえ。それから、おみねといったな、その女中は。お前さんに案内してもらおう」
「いえ、わたしが……」
お春が素速《すばや》く立ち上がろうとするのを、伝七はさり気なく留めた。
「なアに、おみねの方がいい。台所や裏口なんてものア、女中の方が明るいもんだ。おい竹」
「へい」
「おめえは……」
伝七のささやく声に、大きくうなずいた獅子っ鼻の竹は、ぱッと表へ飛び出して行った。
おみねを先へ立てて、裏庭へ出た伝七は、ゆっくり隅々まで眼を通したが、裏木戸の傍の庭石へ腰をおろすと、自分の前に転がっている材木の一端へ、おみねを掛けさせた。
「おめえの話を、聴こうじゃねえか。常吉が縄を掛けられた時の、おめえの顔は、ただじゃなかった。何かあるだろうから、話してみねえ」
「はい……」
おみねの張りのある眼には、急に涙が浮かんだ。
「親分さん。つ、常どんは、お嬢さんを殺したんじゃアありません」
「どうしてお前に、それが判るんだ?」
「さっき、お春お嬢さんが、廊下を歩いていたと仰しゃいましたが、常どんはあの時まで、女中部屋にいたのでございます」
「そんな夜半に、どうしてお前の部屋にいたんだ? おかしいじゃねえか」
「はい……」
おみねの蒼《あお》ざめた顔が、ぽッと赤くなった。
「おはずかしいことでございますけど、常どんの命に係わることですから、何もかも申し上げます。二人は……常どんとわたくしは、言い交《か》わした仲でございます」
「何んだって?」
「この春でございました。わたくしが病気で、十日ばかり寝ました時、常どんが、毎晩看病してくれましたので、ついその親切にほだされまして……」
「だっておめえ、常吉はここの家の、聟《むこ》になる男じゃァねえか」
「左様でございます。ですけど、お春お嬢さんは、常どんが小僧さんだったというので、大層|邪慳《じゃけん》になさいます。それでときどきは、常どんも、口惜し泣きに泣いて居りますんで。……わたくしも日頃から、気の毒に思って居ました」
「うむ」
「ゆうべも旦那は、お春お嬢さんと常どんを、お祝いの席へ着かせようと、なすったんですけど、お春お嬢さんは常どんと、一緒じゃいやだと仰しゃって、さっさと寝ておしまいになりました。それというのも……」
「それというのも?……」
「お春お嬢さんは、平太郎さんを想ってらっしゃるからでございます」
「平太郎といえば、死んだお由利さんと、祝言《しゅうげん》するはずだった男だが。……それじゃ男の方でも、お春を想っているのか」
「それは、わたくしには判りませんが、ゆうべのことを思いますと……」
「ゆうべのことというと……?」
「………」
「つまらねえ遠慮をしてると、常吉ばかりか、おめえのためにもならねえんだよ。はっきり云うがいい」
「は、はい。……実は、夜半過ぎまで、常どんは、わたしの所に居ましたが、これからお由利様の、お部屋の行灯《あんどん》の油を差しに行くんだと云って、離《はな》れへまいりましたんで……」
「うむ」
「それから先は、わたしは何んにも知りませんでしたが、今朝の騒ぎになってから、ゆうべは飛んでもないことをした、と云うんでございます」
「………」
「常どんが、離れへ行きますと、障子の中に、人の居る様子なので、びっくりして引き返してしまったと申します――こんなことなら、顔を見て置きゃアよかった。平太郎さんだと思ったばっかりに、着物の柄も判らないと、常どんは口惜しがって居りました」
「そうか。だが、そんならどうしてさっき、常吉はそれを云わなかったんだろうな。それだけでも、身の証《あか》しの助けになるというもんだが……」
「はい、それはこうでございます。わたしは、両親が貧乏ですので、このお見世へまいります時に、まとまったお金を借りて居ます。途中でしくじりがございますと、そのお金をお返しして、国へ帰らなければなりません。きっと常どんは、それを考えて、何もかも黙っていてくれたんだと思います」
「成程」
「それに常どんは、お由利様思いでございますから、お嬢様のお部屋に、男がいたなどとは、どうしてもいえなかったんではございますまいか」
伝七が大きく頷《うなず》いた時だった。
「親分、連れて来やした」
突然竹道の声が聞こえたとおもうと、右手を掴まれて、裏木戸から幽霊のように這入って来たのは、平太郎であった。
散っていた花
「お、平太郎か。ここへ掛けねえ」
「………」
おみねを立ち去らした跡を指さすと、平太郎は、阿波《あわ》人形のように胴を真っ直ぐにしたまま、首だけ垂れて腰を下ろした。
「おめえが、お由利さんの部屋へ這入ったのア、何刻《なんどき》だった?」
「………」
「今朝、ここのお内儀《かみ》が、お由利さんの死んでるのを見て騒ぎ出した時、駈けつけた旦那の気がついたのア、縁側の雨戸が二寸ばかり、開いてたってことだ。馴《な》れた奴ア、決してそんな間抜けな真似はしやアしねえ。素人《しろうと》に限って、あわてて、そんなドジを踏むんた。おめえ、夢中ンなって、逃げ出したに違えあるめえ」
「恐れ入りました」
「うぬ、御用だッ」
竹道が頭の上から一喝した。
「あ、お待ち下さいまし……」
冷水でも浴びせられたように、震《ふる》え上がった平太郎は、思わず伝七を拝んだ。
「竹、待ちねえ。平太郎、おめえ何かいいてえことがあるのか」
「へい。……お由利さんの所へ、忍び込みましたのは、わたくしに相違ございませんが、その時にはもうお由利さんは、死んで居たのでございます……」
「平太郎。口から出まかせをいうと、反《かえ》っておめえの、お咎《とが》めが重くなるぜ」
伝七は鋭《するど》くきめつけた。
「いいえ、決して親分さんに、嘘は申しません。ゆうべお由利さんが、お客様を送って、帰ってまいりましてから、小父さんや小母さんに、わたしも加わりまして、四方山話《よもやまばなし》をいたしました」
「うむ」
「小父さんも小母さんも、口を揃えて、近いうちに祝言《しゅうげん》をするようにと、勧めてくれますのに、お由利さんは、うんとは申しません。そればかりでなく、来年三月は、いろいろ都合があって、袖《そで》ノ井《い》さんと、宿退りをしない約束をしてあるから、今度帰ってくるのは、来年の今ごろになるだろうなどと申しました」
「………」
「わたしは、間もなく切り上げて帰りましたが、家へ帰っても口惜しくて、どうしても眠られません。それで、どうかしてもう一度お由利さんと、とっくり話し合いたいと思いまして、ふらふらと、家を出てしまいました」
「きいてくれねえ時にゃ、ひと思いに、殺す気になってたんだな」
「飛んでもございません。だいいち、刃物も持っては居りません。ただ、心を尽《つ》くして話しましたら、また考えも変わるだろうと、それだけが、望みでございました」
「それで、裏からは、どうして這入ったんだ?」
「家を出ます時には、塀を乗り越えてでもと、思って居りましたが、何気なく裏木戸を押してみますと、わけもなく開きましたので……」
「すると、閂《かんぬき》が外れていたというんだな」
「左様でございます。それから庭伝いに、縁側まで行って、そっと雨戸を開けまして、枕元の方へ行きますと、有明行灯《ありあけあんどん》の灯で、ぼんやりと見えましたのは、両のこぶしを握りしめている、裸のお由利さんの死骸でございました」
「うむ」
「あッと云ったっきり、わたしは、何も見えなくなってしまいましたが、間もなく気がつきましたのは、こうして居れば、自分に人殺しの疑いがかかる、ということでございました。もう恐ろしさに、誰を起こす考えも出ませず、あわてて、逃げて帰ったのでございます」
「そうじゃあるめえ。おめえは、お春にそそのかされて、太え料簡《りょうけん》を起こしたんだろう?」
「決して、そんなことはございません。わたしは、お春のような勝ち気な女は、大嫌いでございます」
今まで堪《た》えに堪《た》えていたのであろう。平太郎の眼からは、急に涙が頬を伝わった。
「よし、これからおめえの、親父に逢おう。おい竹。ここの旦那に、おいらア一巡りしてくるからとそう云って来ねえ」
いきなり立ち上がった伝七は、平太郎の手首を掴んだ。白く丸味を帯びた平太郎の腕は、女のように優しかった。
赤トンボ
「親分、そう急がなくっても、いいじゃござんせんか」
「馬鹿野郎。御用中は忙しい体なんだ。てめえにつき合っちゃアいられねえんだ」
「でも、平太郎は、ホシじゃアねえんでげしょう」
「だから、なおさらじゃねえか」
「お由利さんの部屋へ、忍んで行った奴を、挙げねえんなら、まアぼつぼつやるより他にゃ、仕方がござんすまい。どっかそこいらで、一と休みしようじゃござんせんか」
「竹。おめえ休みたけりゃア、いつまででも、そこいらで寝てきていいぜ」
「冗談云っちゃアいけません。親分、ま、待っておくんなせえ」
梅窓院通りから、百人町へ足を速めて行く伝七は、獅子っ鼻の竹を、いい加減にあしらいながら、何か思案《しあん》に耽っている様子だった。
「竹、おめえに、働いて貰う時が来たぜ」
「えッ、あっしに?……有難え」
「ほかじゃねえが、これから赤坂御門外へ行って、溜池《ためいけ》の麦飯《むぎめし》茶屋を、洗ってくんねえ」
「あすこの茶屋なら、六軒ありやしてね。女の数が三十人。いま評判なのア、お滝におつま……」
「女を知りてえんじゃねえ。ゆうべ五ツ頃から、今日の明け方までに、どんな客が上がったか、そいつを調べて来るんだ。こっちの目当ては、鴎硯《おうせき》という茶坊主だが、まだ外に、拾いものがあるかも知れねえからな」
「へい。ですが、茶坊主が、なんであすこへ行きやすんで?……」
「ゆうべ伊吹屋《いぶきや》からの帰りに、源兵衛が如才なく、二分や一両は、握らしたに違えねえ。坊主の住居は、浜松町だそうだから、丁度都合のいい足溜《あしだ》まりだ。しけ込んだ上で、何を企《たくら》むか知れねえって奴だ」
「成程」
「伊吹屋へ上がり込んで、みんなの機嫌《きげん》を取るような坊主だ。お城から、誰に何を云いつかって来てるか、知れたもんじゃねえから、抜かっちゃならねえぜ」
「ようござんす。きっと何か、土産《みやげ》を掴《つか》んでめえりやす」
「おいらはこれから、一軒寄って黒門町へ帰ってる。おめえの方の様子を知ってからでねえと、仕事の順序が立たねえから、ちっとも速く頼むぜ」
「おっと合点。親分も、お気をつけて行っておくんなせえ」
土けむりをあげて、駈け出した竹造を見送ると、伝七はそのまま表通りへ曲がって、古びた小さい屋敷の門を潜《くぐ》った。
「御免なすって。……お城勤めをなすってらっしやる、袖ノ井さんのお宅は、こちらでござんしょうか」
「はい、はい。誰方《どなた》でございます」
たるんだ声で答えながら、足許も覚束《おぼつか》なく出て来たのは、茶の単衣《ひとえ》に、山の出た黒繻子《くろじゅす》の帯をしめた、召使いらしい老婆であった。
「わたしは、お奉行所の、御用を承ってる者でござんすが、袖ノ井さんに、ちょいとお目にかかりたいことがござんして、お伺い申しました」
「あの、どのような御用で?」
「伊吹屋さんの娘さんの、お由利さんのことにつきまして、お伺い申しましたが……」
「少々お待ち下さいまし」
伝七は、向こうの土間の天井に吊るしてある用心籠など眺めながら黙って待った。
と、間もなく老婆は引き返して来た。
「お待たせいたしました。只今お嬢様は、御不在でございますが、旦那様が、お目にかかりますそうで。……どうぞお上がり下さいまし」
袖ノ井が留守とは意外であったが、このまま引き退ることは出来なかった。
壁の落ちかかった奥の間へ導かれた伝七は、この家の主
前へ
次へ
全4ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
邦枝 完二 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング