て、入れぼくろまで、するようなこともあるんだって……」
「そうか」
伝七が、腕をこまねいて考え込んだところへ、帰った来たのは竹道だった。
「親分、行ってめえりやした」
「おお、早かったじゃねえか。やっこは一晩、しっぽりと濡《ぬ》れて行ったか」
「恐れ入りやした。お手の筋で。……鴎硯さんは、さかえ屋へ上がっていやしたが、面白く騒いで寝て今朝七ツ頃に帰って行ったという、こちらに取っちゃア、何の変哲《へんてつ》もねえ話なんで。……どうも相済みません」
「いや、御苦労だった。それでおいらの考えが纏まった。早速もう一度、百人町へ行こう。今度アちっとア、手ごたえがあるぜ」
「へッ、そいつア有難え話でげす」
「今夜は、遅くなるかも知れねえから、提灯の仕度をしてくんねえ」
「合点で……」
気負い込んだ竹が、出て行ったと思うと、あわてて引き返して来た。
「親分。いま袖ノ井さんの使いだという婆さんが、駕籠でめえりやした」
「袖ノ井の?……」
伝七は手にしていた煙管《きせる》を、じっと睨《にら》んでいたが、それをごろりと畳の上へ転がした。
「よし。ここへ通しねえ」
「へい」
竹に案内されて這入って来たのは、先刻見た老婆に違いなかったが、さっぱりと着替えをして、頭を撫でつけている様子は、見違えるぐらい上品になっていた。
「先程は、まことに御苦労様でございました。今し方、お嬢様がお帰りになりましたので」
「いや、あっしこそ、御無礼《ごぶれい》いたしやしたが、御用は?」
「お嬢様の仰しゃいますには、夕景にお見え下さるそうでございますが、病人の気が立って居りますので、明朝にして頂きたいのだそうでございます」
「………」
「今夜一晩、病人の介抱に、人々の孝養《こうよう》の真似をいたしまして、明朝は、お城へ帰りますゆえ、その際なれば、ゆっくりお目にかかれようと、かように申されまして……」
「そんなら今日は、親子水入らずで、居たいと仰しゃるんですね」
「はい。わたしもお暇が出ましたので、親分さんが御承知下さいましたら、浅草の娘のところへ、泊まりにまいりますので……」
伝七は拾い上げた煙管に、きざみを詰めることも忘れて考え込んだが、やがて雁首《がんくび》で、長火鉢の縁を叩いた。
「ようござんしょう。お邪魔《じゃま》するのも、心ない仕業《しわざ》だ。またお前さんの折角の保養を、妨げても気の毒だ。伝七は明日の午《うし》の刻頃までは、伺いませんから、どうぞゆっくりしておくんなさい」
「有離うございます。それでは何分、お願い申します」
お俊のすすめた茶を押し頂いて飲むと、老婆は、いそいそと帰って行った。
「親分、冗談じゃござんせんぜ。提灯はどうなりやすんで?」
「なア竹。せいては事を仕損ずると云うじゃねえか」
「だって親分。常吉でもなし、平太郎でもなし、鴎硯でもなしってことになった今、袖ノ井に、何をお聴きなさるのか知りやせんが、これも明日のことだってんじゃ、いい加減、気がくさるじゃござんせんか」
「ははは。まだくさるのア早えよ。こんな日にゃ、早く寝ちまって、またあした出直すんだ」
かきおき
明るい朝が来て、澄んだ初秋の空からは、眩《まぶ》しい太陽の下に、小鳥の声が軒庭に喧《さわが》しかった。
「お早うござんす。親分はおいででござんしょうか。留五郎からまいりました。ちょいとここで、お目に掛かりとう存じます」
「おお、岩吉さんか。大層また早いじゃねえか」
竹造は、裏の方で何かしているらしく、神棚の水を取り替えていた伝七が、気軽く上がりかまちへ出て行った。
「親分の留五郎が、上がりますはずでござんすが、取り混んで居りますため、手前|名代《みょうだい》で、とりあえずお報せに伺いやした」
「そして用の筋というのア?」
「今朝、暁《あ》け方《がた》に、袖ノ井が、自害して果てましたんで……」
「そうか。……やっぱり死んだか……」
「じゃア親分にゃ、袖ノ井の死ぬことが、きのうから判ってたんでござんすか」
岩吉の声に、あわてて出て来た竹が、頓狂《とんきょう》な声を出したが、伝七はそれには答えなかった。
「岩さん、まア掛けてくんねえ。で、病人はどうした?」
「へえ。病人も袖ノ井の手で、殺しましたんでござんす。毎朝病人の、布の巻き替えを手伝います隣りの隠居が見つけまして、手前共へ、飛んでめえりやした。親分とあっしが、直ぐに出向きましたが咽喉を突いて、腑伏《うつぶ》している袖ノ井の傍にありやしたこの手紙を、親分が披《ひら》いて見ましたので、事情はすっかり判りやした。知らねえこととて、お先へ拝見いたしやしたが、早速黒門町の親分へ、お届けしろと申しますので、あっしが持って伺いました次第でございやす」
岩吉の差し出すものを、伝七が受け取って見れば、一通の書置き。――
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