。いま評判なのア、お滝におつま……」
「女を知りてえんじゃねえ。ゆうべ五ツ頃から、今日の明け方までに、どんな客が上がったか、そいつを調べて来るんだ。こっちの目当ては、鴎硯《おうせき》という茶坊主だが、まだ外に、拾いものがあるかも知れねえからな」
「へい。ですが、茶坊主が、なんであすこへ行きやすんで?……」
「ゆうべ伊吹屋《いぶきや》からの帰りに、源兵衛が如才なく、二分や一両は、握らしたに違えねえ。坊主の住居は、浜松町だそうだから、丁度都合のいい足溜《あしだ》まりだ。しけ込んだ上で、何を企《たくら》むか知れねえって奴だ」
「成程」
「伊吹屋へ上がり込んで、みんなの機嫌《きげん》を取るような坊主だ。お城から、誰に何を云いつかって来てるか、知れたもんじゃねえから、抜かっちゃならねえぜ」
「ようござんす。きっと何か、土産《みやげ》を掴《つか》んでめえりやす」
「おいらはこれから、一軒寄って黒門町へ帰ってる。おめえの方の様子を知ってからでねえと、仕事の順序が立たねえから、ちっとも速く頼むぜ」
「おっと合点。親分も、お気をつけて行っておくんなせえ」
土けむりをあげて、駈け出した竹造を見送ると、伝七はそのまま表通りへ曲がって、古びた小さい屋敷の門を潜《くぐ》った。
「御免なすって。……お城勤めをなすってらっしやる、袖ノ井さんのお宅は、こちらでござんしょうか」
「はい、はい。誰方《どなた》でございます」
たるんだ声で答えながら、足許も覚束《おぼつか》なく出て来たのは、茶の単衣《ひとえ》に、山の出た黒繻子《くろじゅす》の帯をしめた、召使いらしい老婆であった。
「わたしは、お奉行所の、御用を承ってる者でござんすが、袖ノ井さんに、ちょいとお目にかかりたいことがござんして、お伺い申しました」
「あの、どのような御用で?」
「伊吹屋さんの娘さんの、お由利さんのことにつきまして、お伺い申しましたが……」
「少々お待ち下さいまし」
伝七は、向こうの土間の天井に吊るしてある用心籠など眺めながら黙って待った。
と、間もなく老婆は引き返して来た。
「お待たせいたしました。只今お嬢様は、御不在でございますが、旦那様が、お目にかかりますそうで。……どうぞお上がり下さいまし」
袖ノ井が留守とは意外であったが、このまま引き退ることは出来なかった。
壁の落ちかかった奥の間へ導かれた伝七は、この家の主《あるじ》を見ると心の中で思わず「あッ」と叫んだ。
「伝七殿と申されるか。わしは袖の父、真斎《しんさい》でござる」
床の上へ坐っているのは、業病《ごうびょう》も末になったのであろう。顔は崩れ、声は嗄《か》れて、齢さえも定かでない老人であった。
「どなたにも、お目に掛からぬのじゃが、御用の筋と聞いてお通し申した。どのようなことでござろうか」
「ほかでもござんせんが、実は、袖ノ井さんの朋輩衆《ほうばいしゅう》の、伊吹屋のお由利さんが、ゆうべ急に亡くなられましたんで、袖ノ井さんに、何かとお訊ねいたしたいと存じやして……」
「何と云われる。由利殿が亡くなられた?……あの娘御とは、殊《こと》の外《ほか》親しくいたし、昨夜もここへ見えられたが……」
「左様でござんすか。そんなに、仲よくしておいでなすったんで?……」
「左様。着る物も髪のものも、みな揃いのものを、用い居ると申して居ったが、袖が聞いたら、さだめし嘆くことでござろう」
十年の長い間、病床に引《ひ》き籠《こも》ってはいるものの、以前は松平伊予守の典医《てんい》を勤めていた真斎《しんさい》とて、その言うところは、人柄をしのばせるものがあった。
「で、お嬢様は、どちらへお出ましでござんしょう?」
「あれは、わしの使いで、四谷の親戚まで出向いたが、八ツまでには、帰って来るはずじゃ。わしで判ることは、何でも話して進ぜるが……」
「いえ、そんならまた、お帰りの時分に伺いましょう。どうぞよろしく、申し上げておくんなさいやし」
背筋《せすじ》へ水を注《そそ》がれる思いで、言葉を交わしていた伝七は、ふと気付いたことがあるままに、早々にして席を立った。
お俊の知恵
「なアお俊。柳下亭の読みものかなんかで、見たような気がするんだが、女同士が夫婦のように想い合うなんてことが、本当にあるもんなのか」
「さア、どういうもんでしょうねえ。何かあったんですか」
黒門町のわが家へ帰って来た伝七は、茶の間で、女房お俊の、茶をいれている姿を見ながら、突然言葉をかけた。
「うむ。ちょいと困ったことがあっての」
「あたしゃ、そんなことは知りませんけれど。……富本《とみもと》のお稽古《けいこ》に通ってた時分、御師匠《おしょ》さんとこへ来る羽織衆が、そんな話をしていたことがありましたよ。女芝居の一座や、女牢の中なんぞでは、女同士が言い交わし
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