ように胴を真っ直ぐにしたまま、首だけ垂れて腰を下ろした。
「おめえが、お由利さんの部屋へ這入ったのア、何刻《なんどき》だった?」
「………」
「今朝、ここのお内儀《かみ》が、お由利さんの死んでるのを見て騒ぎ出した時、駈けつけた旦那の気がついたのア、縁側の雨戸が二寸ばかり、開いてたってことだ。馴《な》れた奴ア、決してそんな間抜けな真似はしやアしねえ。素人《しろうと》に限って、あわてて、そんなドジを踏むんた。おめえ、夢中ンなって、逃げ出したに違えあるめえ」
「恐れ入りました」
「うぬ、御用だッ」
 竹道が頭の上から一喝した。
「あ、お待ち下さいまし……」
 冷水でも浴びせられたように、震《ふる》え上がった平太郎は、思わず伝七を拝んだ。
「竹、待ちねえ。平太郎、おめえ何かいいてえことがあるのか」
「へい。……お由利さんの所へ、忍び込みましたのは、わたくしに相違ございませんが、その時にはもうお由利さんは、死んで居たのでございます……」
「平太郎。口から出まかせをいうと、反《かえ》っておめえの、お咎《とが》めが重くなるぜ」
 伝七は鋭《するど》くきめつけた。
「いいえ、決して親分さんに、嘘は申しません。ゆうべお由利さんが、お客様を送って、帰ってまいりましてから、小父さんや小母さんに、わたしも加わりまして、四方山話《よもやまばなし》をいたしました」
「うむ」
「小父さんも小母さんも、口を揃えて、近いうちに祝言《しゅうげん》をするようにと、勧めてくれますのに、お由利さんは、うんとは申しません。そればかりでなく、来年三月は、いろいろ都合があって、袖《そで》ノ井《い》さんと、宿退りをしない約束をしてあるから、今度帰ってくるのは、来年の今ごろになるだろうなどと申しました」
「………」
「わたしは、間もなく切り上げて帰りましたが、家へ帰っても口惜しくて、どうしても眠られません。それで、どうかしてもう一度お由利さんと、とっくり話し合いたいと思いまして、ふらふらと、家を出てしまいました」
「きいてくれねえ時にゃ、ひと思いに、殺す気になってたんだな」
「飛んでもございません。だいいち、刃物も持っては居りません。ただ、心を尽《つ》くして話しましたら、また考えも変わるだろうと、それだけが、望みでございました」
「それで、裏からは、どうして這入ったんだ?」
「家を出ます時には、塀を乗り越えてでもと、思って居りましたが、何気なく裏木戸を押してみますと、わけもなく開きましたので……」
「すると、閂《かんぬき》が外れていたというんだな」
「左様でございます。それから庭伝いに、縁側まで行って、そっと雨戸を開けまして、枕元の方へ行きますと、有明行灯《ありあけあんどん》の灯で、ぼんやりと見えましたのは、両のこぶしを握りしめている、裸のお由利さんの死骸でございました」
「うむ」
「あッと云ったっきり、わたしは、何も見えなくなってしまいましたが、間もなく気がつきましたのは、こうして居れば、自分に人殺しの疑いがかかる、ということでございました。もう恐ろしさに、誰を起こす考えも出ませず、あわてて、逃げて帰ったのでございます」
「そうじゃあるめえ。おめえは、お春にそそのかされて、太え料簡《りょうけん》を起こしたんだろう?」
「決して、そんなことはございません。わたしは、お春のような勝ち気な女は、大嫌いでございます」
 今まで堪《た》えに堪《た》えていたのであろう。平太郎の眼からは、急に涙が頬を伝わった。
「よし、これからおめえの、親父に逢おう。おい竹。ここの旦那に、おいらア一巡りしてくるからとそう云って来ねえ」
 いきなり立ち上がった伝七は、平太郎の手首を掴んだ。白く丸味を帯びた平太郎の腕は、女のように優しかった。

     赤トンボ

「親分、そう急がなくっても、いいじゃござんせんか」
「馬鹿野郎。御用中は忙しい体なんだ。てめえにつき合っちゃアいられねえんだ」
「でも、平太郎は、ホシじゃアねえんでげしょう」
「だから、なおさらじゃねえか」
「お由利さんの部屋へ、忍んで行った奴を、挙げねえんなら、まアぼつぼつやるより他にゃ、仕方がござんすまい。どっかそこいらで、一と休みしようじゃござんせんか」
「竹。おめえ休みたけりゃア、いつまででも、そこいらで寝てきていいぜ」
「冗談云っちゃアいけません。親分、ま、待っておくんなせえ」
 梅窓院通りから、百人町へ足を速めて行く伝七は、獅子っ鼻の竹を、いい加減にあしらいながら、何か思案《しあん》に耽っている様子だった。
「竹、おめえに、働いて貰う時が来たぜ」
「えッ、あっしに?……有難え」
「ほかじゃねえが、これから赤坂御門外へ行って、溜池《ためいけ》の麦飯《むぎめし》茶屋を、洗ってくんねえ」
「あすこの茶屋なら、六軒ありやしてね。女の数が三十人
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