伝七は明日の午《うし》の刻頃までは、伺いませんから、どうぞゆっくりしておくんなさい」
「有離うございます。それでは何分、お願い申します」
お俊のすすめた茶を押し頂いて飲むと、老婆は、いそいそと帰って行った。
「親分、冗談じゃござんせんぜ。提灯はどうなりやすんで?」
「なア竹。せいては事を仕損ずると云うじゃねえか」
「だって親分。常吉でもなし、平太郎でもなし、鴎硯でもなしってことになった今、袖ノ井に、何をお聴きなさるのか知りやせんが、これも明日のことだってんじゃ、いい加減、気がくさるじゃござんせんか」
「ははは。まだくさるのア早えよ。こんな日にゃ、早く寝ちまって、またあした出直すんだ」
かきおき
明るい朝が来て、澄んだ初秋の空からは、眩《まぶ》しい太陽の下に、小鳥の声が軒庭に喧《さわが》しかった。
「お早うござんす。親分はおいででござんしょうか。留五郎からまいりました。ちょいとここで、お目に掛かりとう存じます」
「おお、岩吉さんか。大層また早いじゃねえか」
竹造は、裏の方で何かしているらしく、神棚の水を取り替えていた伝七が、気軽く上がりかまちへ出て行った。
「親分の留五郎が、上がりますはずでござんすが、取り混んで居りますため、手前|名代《みょうだい》で、とりあえずお報せに伺いやした」
「そして用の筋というのア?」
「今朝、暁《あ》け方《がた》に、袖ノ井が、自害して果てましたんで……」
「そうか。……やっぱり死んだか……」
「じゃア親分にゃ、袖ノ井の死ぬことが、きのうから判ってたんでござんすか」
岩吉の声に、あわてて出て来た竹が、頓狂《とんきょう》な声を出したが、伝七はそれには答えなかった。
「岩さん、まア掛けてくんねえ。で、病人はどうした?」
「へえ。病人も袖ノ井の手で、殺しましたんでござんす。毎朝病人の、布の巻き替えを手伝います隣りの隠居が見つけまして、手前共へ、飛んでめえりやした。親分とあっしが、直ぐに出向きましたが咽喉を突いて、腑伏《うつぶ》している袖ノ井の傍にありやしたこの手紙を、親分が披《ひら》いて見ましたので、事情はすっかり判りやした。知らねえこととて、お先へ拝見いたしやしたが、早速黒門町の親分へ、お届けしろと申しますので、あっしが持って伺いました次第でございやす」
岩吉の差し出すものを、伝七が受け取って見れば、一通の書置き。――
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