幾年振りかで家にいると聞いた善友悪友が、われもわれもと押しかけて来る接待に悩まされ続けては、流石《さすが》に夜を日に換えて筆を執る根気も尽き果てたのであろう。「松の内ア仕様がねえ」と、お菊にも因果を含めるより外に、何んとする術もなかった。
が、松が取《とら》れたきょうとなっては、もはや来るべき友達も来尽してしまった肩脱けから、やがて版元に重ねての催促を受けぬうち、一気呵成に脱稿してしまおうと、七草|粥《がゆ》を祝うとそのまゝ、壁に「菊軒」の額を懸けた四畳半の書斎に納まって、今しも硯《すずり》に水を移したところだった。
「ぬしさん」
障子の外から、まだ廓《さと》言葉をそのまゝの、お菊の声が聞えた。
「ほい」
細目に開けた障子の隙間から、顔だけ出したお菊の声は、矢鱈《やたら》に低かった。
「お人が来いしたよ」
「え」
京伝は、うんざりしたように硯の側へ墨を置いた。
「誰だい。この雪道に御苦労様な。――」
「伺うのは初めてだといいしたが、二十四五の、みすぼらしいお人でありんす」
「どッから来たといった」
「深川とかいいなんした」
「なに、深川。そいつア呆れた。――仕方がねえ。そんな遠
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