方から来たんじゃ、会わねえ訳にもゆくめえ。直ぐに行くから、客間へ通しときな」
「会いなんすか」
「面倒臭えが、いやだともいえめえわな」
それでも京伝は、一行も書き始めないうちでよかった、というような気がしながら、お菊が去ると間もなく、袢纏《はんてん》を羽織に換えて、茶の間兼用になっている客間へ顔を出した。
客間の敷居際には、お菊がいった通り、無精髯を伸した、二十四五の如何にも風采の上がらない骨張った男が、襞《ひだ》切れのした袴《はかま》を胸高に履いて、つつましやかに控えていた。
「お前さんかね。わたしに用があるといいなさるなア」
京伝の言葉は、如何にもぶっきら棒だった。
「はい、左様でございます。わたくしは、深川仲町裏に住んで居りまする、馬琴《ばきん》と申します若輩でございますが、少々先生にお願いの筋がございまして、無躾《ぶしつけ》ながら、斯様《かよう》に早朝からお邪魔に伺いました」
「どんな話か知らないが、そこじゃ遠くていけねえ。遠慮はいらないから、もっとこっちへ這入《はい》ンなさるがいい」
相手が、風采に似気なく慇懃《いんぎん》なのを見ると、京伝もどうやら好意が湧いて来たのであろう。心もち火桶を相手の方へ押しやって、もっと近くへ寄るように勧めた。
「ではお言葉に甘えまして、お座敷へ入れさせて頂きます」
馬琴と名乗る若者は、ここで一膝敷居の内へ這入ると、また更《あらた》めて頭を下げた。
「その頼みの筋というなア、一体どんなことだの」
「外でもございませんが、この馬琴を、先生の御門下に、お加え下さる訳にはまいりますまいか」
「やっぱりそんなことだったのか」
何か期待していた京伝は、これを聞くと、吐き出すように失望の言葉を浴びせた。
「はい」
「はいじゃアねえよ。改まって、願いの筋があるといいなさるから、また何か、読本《よみほん》の種にでもなるような珍らしい相談でもすることかと思ったら、何んのこたアねえ、すっかり当が外れちゃった――そりゃアまア、弟子にしてくれというんなら、しねえこともないが、第一お前さん、そんな野暮な恰好をして、これまでに、黄表紙か洒落本の一冊でも、読んだことがおあんなさるのかい」
「ございます」
馬琴は、飽くまで、石のように真面目だった。
「どんな物を読みなすった」
「まず先生のお作なら、安永七年にお書卸しの黄表紙お花半七を始め、翌年
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