戸の京山は、大方縁側でゆうべの残りを、二三本空けていたのであろう。酔えば必ずする癖の上唇を頻《しき》りに舐《な》めずりながら、京伝の方へ顎を突出した。
「おめえまた、正月早々、いつもの癖が始まったな」
「癖はござんすまい。あんな干物の草稿を見てやろうなんて、つまらねえ料簡が、どこを押しゃア兄さんの肚《はら》から出るんだか、あっしゃアそいつが訊きてえだけの話さ」
「人のことを、矢鱈にくさしたがる、その癖の止まねえうちは、おめえにゃいつんなっても、ろくな物ア書けねえだろう。――なる程、あの馬琴という男ア、干物のような風采にゃ違えねえ。おいらも初手に一目見た時にゃ、つまらねえ奴が舞い込んで来たもんだと、内心腹が立ったくれえだった。だが、一言喋るのを聞いてからは、なかなかの偉物だということが、直ぐにおれの胸へ、ぴたりとやって来た。そういっちゃア可哀想だが、おめなんざ、足許へもおッ付く相手じゃねえ。この二三年面倒を見てやったら、きっと、あッと驚くような大物を、書き始めるに相違なかろう。その時になって、眼が利かなかったと、いくら悔んでも、もう間に合わねえぜ」
「冗、冗談じゃアねえや。あんな唐変木に、黄表紙が一冊でも書けたら、あっしゃア無え首を二つやりやす。――鹿爪《しかつめ》らしく袴なんぞ履きゃアがって、なんて恰好だい。そいつもまだいいが、兄さんが、何か読んだかと訊いた時の、あの高慢ちきの返事と来たら、あっしゃア向うで聞いてて、へど[#「へど」に傍点]が出そうになりやしたぜ。まず先生のお作ならから始めやがって、安永七年のお書卸しの黄表紙お花半七、翌年御出版の遊人三幅対」
「止しねえ」
「だって、この通りじゃげえせんか。天下に手前程の学者はなしと云わぬばかりの、小面の憎い納り様が、兄さんの腹の虫にゃ、まるッきり触らなかったとなると、こいつア平賀源内のえれきてる[#「えれきてる」に傍点]じゃアねえが、奇妙不思議というより外にゃ、どう考えても、考えられねえ代物でげすぜ」
「もういゝから、あっちへ行きねえ」
 京伝は、危く振り上げようとした煙管を、ぐっと握りしめたまま、睨《にら》み付けるように京山を見詰めた。
「聞かねえうちア、滅多にゃこゝア動きませんよ。――あんな干物野郎が、あっしよりもずんと上の作者だといわれたんじゃ、猶更立つ瀬がありませんや。――もし嫂《ねえ》さん。使いだてしてお
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