すよ。是非ともお目に掛って、お願いしたいことがあるとおっしゃって。……」
「どういう御用か知らねえが、お旗本のお使いならなおのこと、こんな態《ざま》じゃお目に掛れねえ。――御無礼でござんすが、ふせっておりますからと申上げて、お断りしねえ」
 歌麿の、この言葉が終るか終らないうちであった。「お師匠さん、その御遠慮には及びませんよ」といいながら、庭先の枝折戸《しおりど》を開けて、つかつかとはいって来たのは、大|丸髭《まるまげ》に結《い》った二十七八の水も垂れるような美女であった。
「これアどうも、こんなところへ。……」
 あわてる歌麿を、女は手早く押し止めた。
「あたしでござんす。おきたでござんす」
「え。――」
 鋭く、窪《くぼ》んだ眼を上げた歌麿は、その大丸髷が、まがう方なく、嘗《かつ》ては江戸随一の美女と謳《うた》われた灘波《なにわ》屋のおきただと知ると、さすがに寂しい微笑を頬に浮べた。
「おお、おきたさんか。――ここへ何しに来なすった」
「何しにはお情《なさけ》ない。お見舞に伺ったのでござんす」
 辷《すべ》るように、歌麿の傍《そば》へ坐ったおきたは、如何にもじれったそうに、衰えた
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