歌麿は「青楼《せいろう》十二|時《とき》」この方、版下を彫《ほ》らせては今古《こんこ》の名人とゆるしていた竹河岸の毛彫安《けぼりやす》が、森治《もりじ》から出した「蚊帳《かや》の男女《だんじょ》」を彫ったのを最後に、突然死去して間もなく、亀吉を見出したのであるが、若いに似合わず熱のある仕事振りが意にかなって、ついこの秋口、鶴喜《つるき》から開板《かいはん》した「美人島田八景」に至るまで、その後の主立《おもだ》った版下は、殆ど亀吉の鑿刀《さくとう》を俟《ま》たないものはないくらいであった。
一昨年の筆禍《ひっか》事件以来、人気が半減したといわれているものの、それでもさすがに歌麿のもとへは各版元からの註文が殺到して、当時売れっ子の豊国《とよくに》や英山《えいざん》などを、遥かに凌駕《りょうが》する羽振りを見せていた。
きょうもきょうとて、歌麿は起きると間もなく、朝帰りの威勢のいい一九《いっく》にはいり込まれたのを口開《くちあけ》に京伝《きょうでん》、菊塢《きくう》、それに版元の和泉屋市兵衛など、入れ代り立ち代り顔を見せられたところから、近頃また思い出して描き始めた金太郎の下絵をそのま
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