じ》でござんすから。……」
「折角《せっかく》お前《まえ》さんを乗《の》せながら、垂《たれ》をおろして担《かつ》いでたんじゃ、勿体《もったい》なくって仕方《しかた》がねえ。憚《はばか》ンながら駕籠定《かごさだ》の竹《たけ》と仙蔵《せんぞう》は、江戸《えど》一|番《ばん》のおせんちゃんを乗《の》せてるんだと、みんなに見《み》せてやりてえんで。……」
「どうかそんなことは、もういわないでおくんなさい」
「評判娘《ひょうばんむすめ》のおせんちゃんだ。両方《りょうほう》揚《あ》げて悪《わる》かったら、片《かた》ッ方《ぽう》だけでもようがしょう」
「そうだ、姐《ねえ》さん。こいつァ何《なに》も、あっしらばかりの見得《みえ》じゃァごあんせんぜ。春信《はるのぶ》さんの絵《え》で売《う》り込《こ》むのも、駕籠《かご》から窺《のぞ》いて見《み》せてやるのも、いずれは世間《せけん》へのおんなじ功徳《くどく》でげさァね。ひとつ思《おも》い切《き》って、ようがしょう」
「どうか堪忍《かんにん》。……」
「欲《よく》のねえお人《ひと》だなァ。垂《たれ》を揚《あ》げてごらんなせえ。あれ見《み》や、あれが水茶屋《みずちゃや》のおせんだ。笠森《かさもり》のおせんだと、誰《だれ》いうとなく口《くち》から耳《みみ》へ伝《つた》わって白壁町《しろかべちょう》まで往《ゆ》くうちにゃァ、この駕籠《かご》の棟《むね》ッ鼻《ぱな》にゃ、人垣《ひとがき》が出来《でき》やすぜ。のう竹《たけ》」
「そりゃァもう仙蔵《せんぞう》のいう通《とお》り真正《しんしょう》間違《まちげ》えなしの、生《い》きたおせんちゃんを江戸《えど》の町中《まちなか》で見《み》たとなりゃァ、また評判《ひょうばん》は格別《かくべつ》だ。――片《かた》ッ方《ぽう》でもいけなけりゃ、せめて半分《はんぶん》だけでも揚《あ》げてやったら、通《とお》りがかりの人達《ひとたち》が、どんなに喜《よろこ》ぶか知《し》れたもんじゃねえんで。……」
「駕籠屋《かごや》さん」
「ほい」
「あたしゃもう降《お》りますよ」
「何《な》んでげすッて」
「無理難題《むりなんだい》をいうんなら、ここで降《お》ろしておくんなさいよ」
「と、とんでもねえ。お前《まえ》さんを、こんなところでおろした日《ひ》にゃ、それこそこちとらァ、二|度《ど》と再《ふたた》び、江戸《えど》じゃ家業《かぎょう》が出来《でき》やせんや。――そんなにいやなら、垂《たれ》を揚《あ》げるたいわねえから、そうじたばたと動《うご》かねえで、おとなしく乗《の》っておくんなせえ。――だが、考《かん》げえりゃ考《かん》げえるほど、このまま担《かつ》いでるな、勿体《もったい》ねえなァ」
 駕籠《かご》はいま、秋元但馬守《あきもとたじまのかみ》の練塀《ねりべい》に沿《そ》って、蓮《はす》の花《はな》が妍《けん》を競《きそ》った不忍池畔《しのばずちはん》へと差掛《さしかか》っていた。

    三

 東叡山《とうえいざん》寛永寺《かんえいじ》の山裾《やますそ》に、周囲《しゅうい》一|里《り》の池《いけ》を見《み》ることは、開府以来《かいふいらい》江戸《えど》っ子《こ》がもつ誇《ほこ》りの一つであったが、わけても雁《かり》の訪《おとず》れを待《ま》つまでの、蓮《はす》の花《はな》が池面《いけおも》に浮《う》き出《で》た初秋《しょしゅう》の風情《ふぜい》は、江戸歌舞伎《えどかぶき》の荒事《あらごと》と共《とも》に、八百八|町《ちょう》の老若男女《ろうにゃくなんにょ》が、得意中《とくいちゅう》の得意《とくい》とするところであった。
 近頃《ちかごろ》はやり物《もの》のひとつになった黄縞格子《きじまごうし》の薄物《うすもの》に、菊菱《きくびし》の模様《もよう》のある緋呉羅《ひごら》の帯《おび》を締《し》めて、首《くび》から胸《むね》へ、紅絹《べにぎぬ》の守袋《まもりぶくろ》の紐《ひも》をのぞかせたおせんは、洗《あら》い髪《がみ》に結《ゆ》いあげた島田髷《しまだまげ》も清々《すがすが》しく、正《ただ》しく座《すわ》った膝《ひざ》の上《うえ》に、両《りょう》の手《て》を置《お》いたまま、駕籠《かご》の中《なか》から池《いけ》のおもてに視線《しせん》を移《うつ》した。
 夜《よ》が明《あ》けて、まだ五つには間《ま》があるであろう。ひと抱《かか》えもあろうと想《おも》われる蓮《はす》の葉《は》に、置《お》かれた露《つゆ》の玉《たま》は、いずれも朝風《あさかぜ》に揺《ゆ》れて、その足《あし》もとに忍《しの》び寄《よ》るさざ波《なみ》を、ながし目《め》に見《み》ながら咲《さ》いた花《はな》の紅《べに》が招《まね》く尾花《おばな》のそれとは変《かわ》った清《きよ》い姿《すがた》を、水鏡《みずかがみ》に映《うつ》すたわわの風情《ふぜい》。ゆうべの夢見《ゆめみ》が忘《わす》れられぬであろう。葉隠《はがく》れにちょいと覗《のぞ》いた青蛙《あおがえる》は、今《いま》にも落《お》ちかかった三|角頭《かくとう》に、陽射《ひざ》しを眩《まば》ゆく避《さ》けていた。
「駕籠屋《かごや》さん」
 ふと、おせんが声《こえ》をかけた。
「へえ」
「こっち側《がわ》だけ、垂《たれ》を揚《あ》げておくんなさいな」
「なんでげすッて」
「花《はな》が見《み》とうござんすのさ」
「合点《がってん》でげす」
 先棒《さきぼう》と後《うしろ》との声《こえ》は、正《まさ》に一|緒《しょ》であった。駕籠《かご》が地上《ちじょう》におろされると同時《どうじ》に、池《いけ》に面《めん》した右手《みぎて》の垂《たれ》は、颯《さっ》とばかりにはね揚《あ》げられた。
「まァ綺麗《きれい》だこと」
「でげすからあっしらが、さっきッからいってたじゃござんせんか。こんないい景色《けしき》ァ、毎朝《まいあさ》見《み》られる図《ず》じゃァねえッて。――ごらんなせえやし。お前《まえ》さんの姿《すがた》が見《み》えたら、つぼんでいた花《はな》が、あの通《とお》り一|遍《ぺん》に咲《さ》きやしたぜ」
「ちげえねえ。葉ッぱにとまってた蛙《かえる》の野郎《やろう》までが、あんな大《おお》きな眼《め》を開《あ》きゃァがった」
「もういいから、やっておくんなさい」
「そんなら、ゆっくりめえりやしょう。――おせんちゃんが垂《たれ》を揚《あ》げておくんなさりゃ、どんなに肩身《かたみ》が広《ひろ》いか知《し》れやァしねえ。のう竹《たけ》」
「そうともそうとも。こうなったら、急《いそ》いでくれろと頼《たの》まれても、足《あし》がいうことを聞《き》きませんや。あっしと仙蔵《せんぞう》との、役得《やくとく》でげさァね」
「ほほほほ、そんならあたしゃ、垂《たれ》をおろしてもらいますよ」
「飛《と》んでもねえ。駕籠《かご》に乗《の》る人《ひと》かつぐ人《ひと》、行《ゆ》く先《さき》ァお客《きゃく》のままだが、かついでるうちァ、こっちのままでげすぜ。――それ竹《たけ》、なるたけ往来《おうらい》の人達《ひとたち》に目立《めだ》つように、腰《こし》をひねって歩《ある》きねえ」
「おっと、御念《ごねん》には及《およ》ばねえ。お上《かみ》が許《ゆる》しておくんなさりゃァ、棒鼻《ぼうはな》へ、笠森《かさもり》おせん御用駕籠《ごようかご》とでも、札《ふだ》を建《た》てて行《ゆ》きてえくらいだ」
 いうまでもなく、祝儀《しゅうぎ》や酒手《さかて》の多寡《たか》ではなかった。当時《とうじ》江戸女《えどおんな》の人気《にんき》を一人《ひとり》で背負《せお》ってるような、笠森《かさもり》おせんを乗《の》せた嬉《うれ》しさは、駕籠屋仲間《かごやなかま》の誉《ほま》れでもあろう。竹《たけ》も仙蔵《せんぞう》も、金《きん》の延棒《のべぼう》を乗《の》せたよりも腹《はら》は得意《とくい》で一ぱいになっていた。
「こう見《み》や。あすこへ行《い》くなァおせんだぜ」
「おせんだ」
「そうよ。人違《ひとちげ》えのはずはねえ。靨《えくぼ》が立派《りっぱ》な証拠《しょうこ》だて」
「おッと違《ちげ》えねえ。向《むこ》うへ廻《まわ》って見《み》ざァならねえ」
 帳場《ちょうば》へ急《いそ》ぐ大工《だいく》であろう。最初《さいしょ》に見《み》つけた誇《ほこ》りから、二人《ふたり》が一|緒《しょ》に、駕籠《かご》の向《むこ》うへかけ寄《よ》った。

    四

「風流絵暦所《ふうりゅうえこよみどころ》鈴木春信《すずきはるのぶ》」
 水《みず》くきのあとも細々《ほそぼそ》と、流《なが》したように書《か》きつらねた木目《もくめ》の浮《う》いた看板《かんばん》に、片枝折《かたしおり》の竹《たけ》も朽《く》ちた屋根《やね》から柴垣《しばがき》へかけて、葡萄《ぶどう》の蔓《つる》が伸《の》び放題《ほうだい》の姿《すがた》を、三|尺《じゃく》ばかりの流《なが》れに映《うつ》した風雅《ふうが》なひと構《かま》え、お城《しろ》の松《まつ》も影《かげ》を曳《ひ》きそうな、日本橋《にほんばし》から北《きた》へ僅《わずか》に十|丁《ちょう》の江戸《えど》のまん中《なか》に、かくも鄙《ひな》びた住居《すまい》があろうかと、道往《みちゆ》く人《ひと》のささやき交《かわ》す白壁町《しろかべちょう》。夏《なつ》ならば、すいと飛《と》びだす迷《まよ》い蛍《ほたる》を、あれさ待《ま》ちなと、団扇《うちわ》で追《お》い寄《よ》るしなやかな手《て》も見《み》られるであろうが、はや秋《あき》の声《こえ》聞《き》く垣根《かきね》の外《そと》には、朝日《あさひ》を受《う》けた小葡萄《こぶどう》の房《ふさ》が、漸《ようや》く小豆大《あずきだい》のかたちをつらねた影《かげ》を、真下《ました》の流《なが》れに漂《ただよ》わせているばかりであった。
 池《いけ》と名付《なづ》ける程《ほど》ではないが、一|坪余《つぼあま》りの自然《しぜん》の水溜《みずたま》りに、十|匹《ぴき》ばかりの緋鯉《ひごい》が数《かぞ》えられるその鯉《こい》の背《せ》を覆《おお》って、なかば花《はな》の散《ち》りかけた萩《はぎ》のうねりが、一叢《ひとむら》ぐっと大手《おおて》を広《ひろ》げた枝《えだ》の先《さき》から、今《いま》しもぽたりと落《お》ちたひとしずく。波紋《はもん》が次第《しだい》に大《おお》きく伸《の》びたささやかな波《なみ》の輪《わ》を、小枝《こえだ》の先《さき》でかき寄《よ》せながら、じっと水《みず》の面《おも》を見詰《みつ》めていたのは、四十五の年《とし》よりは十|年《ねん》も若《わか》く見《み》える、五|尺《しゃく》に満《み》たない小作《こづく》りの春信《はるのぶ》であった。
 おおかた銜《くわ》えた楊枝《ようじ》を棄《す》てて、顔《かお》を洗《あら》ったばかりなのであろう。まだ右手《みぎて》に提《さ》げた手拭《てぬぐい》は、重《おも》く濡《ぬ》れたままになっていた。
「藤吉《とうきち》」
 春信《はるのぶ》は、鯉《こい》の背《せ》から眼《め》を放《はな》すと、急《きゅう》に思《おも》いだしたように、縁先《えんさき》の万年青《おもと》の葉《は》を掃除《そうじ》している、少年《しょうねん》の門弟《もんてい》藤吉《とうきち》を呼《よ》んだ。
「へえ」
「八つぁんは、まだ帰《かえ》って来《こ》ないようだの」
「へえ」
「おせんもまだ見《み》えないか」
「へえ」
「堺屋《さかいや》の太夫《たゆう》もか」
「へえ」
「おまえちょいと、枝折戸《しおりど》へ出《で》て見《み》て来《き》な」
「かしこまりました」
 藤吉《とうきち》は、万年青《おもと》の葉《は》から掃除《そうじ》の筆《ふで》を放《はな》すと、そのまま萩《はぎ》の裾《すそ》を廻《まわ》って、小走《こばし》りにおもてへ出《で》て行《い》った。
「今時分《いまじぶん》、おせんがいないはずはないから、ひょっとすると八五|郎《ろう》の奴《やつ》、途中《とちゅう》で誰《だれ》かに遇《あ》って、道草《みちくさ》を食《く》ってるのかも知《
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