浮名《うきな》を立《た》てられて、さぞ迷惑《めいわく》でもあろうかと、きょうが日《ひ》まで、辛抱《しんぼう》して来《き》ましたのさ」
「勿体《もったい》ない、太夫《たゆう》さん。――」
「いいえ、勿体《もったい》ないより、済《す》まないのはあたしの心《こころ》。役者家業《やくしゃかぎょう》の憂《う》さ辛《つら》さは、どれ程《ほど》いやだとおもっても、御贔屓《ごひいき》からのお迎《むか》えよ。お座敷《ざしき》よといわれれば、三|度《ど》に一|度《ど》は出向《でむ》いて行《い》って、笑顔《えがお》のひとつも見《み》せねばならず、そのたび毎《ごと》に、ああいやだ、こんな家業《かぎょう》はきょうは止《よ》そうか、明日《あす》やめようかと思《おも》うものの、さて未練《みれん》は舞台《ぶたい》。このまま引《ひ》いてしまったら、折角《せっかく》鍛《きた》えたおのが芸《げい》を、根《ね》こそぎ棄《す》てなければならぬ悲《かな》しさ。それゆえ、秋《あき》の野《の》に鳴《な》く虫《むし》にも劣《おと》る、はかない月日《つきひ》を過《す》ごして来《き》たが、……おせんちゃん。それもこれも、今《いま》はもうきのうの夢《ゆめ》と消《き》えるばかり。所詮《しょせん》は会《あ》えないものと、あきらめていた矢先《やさき》、ほんとうによく来《き》てくれた。あたしゃこのまま死《し》んでも、思《おも》い残《のこ》すことはない。――」
「もし、吉《きち》ちゃん」
「おお」
「しっかりしておくんなさい。羞《はず》かしながら、お前《まえ》がなくてはこの世《よ》の中《なか》に、誰《だれ》を思《おも》って生《い》きようやら、おまえ一人《ひとり》を、胸《むね》にひそめて来《き》たあたし。あたしに死《し》ねというのなら、たった今《いま》でも、身代《みがわ》りにもなりましょう。――のう吉《きち》ちゃん。たとえ一|夜《や》の枕《まくら》は交《かわ》さずとも、あたしゃおまえの女房《にょうぼう》だぞえ。これ、もうし吉《きち》ちゃん。返事《へんじ》のないのは、不承知《ふしょうち》かえ」
一|膝《ひざ》ずつ乗出《のりだ》したおせんは、頬《ほほ》がすれすれになるまでに、菊之丞《きくのじょう》の顔《かお》を覗《のぞ》き込《こ》んだが、やがてその眼《め》は、仏像《ぶつぞう》のようにすわって行《い》った。
「吉《きち》ちゃん。――太夫《たゆう》さん。――」
「お、せ、ん――」
「ああ、もし」
おせんは、次第《しだい》に唇《くちびる》の褪《あ》せて行《ゆ》く菊之丞《きくのじょう》の顔《かお》の上《うえ》に、涙《なみだ》と共《とも》に打《う》ち伏《ふ》してしまった。
隣座敷《となりざしき》から、俄《にわか》に人々《ひとびと》の立《た》つ気配《けはい》がした。
七
二|代目《だいめ》瀬川菊之丞《せがわきくのじょう》の死《し》が報《ほう》ぜられたのは、その日《ひ》の暮《く》れ方《がた》近《ちか》くだった。江戸《えど》の民衆《みんしゅう》は、去年《きょねん》の吉原《よしわら》の大火《たいか》よりも、更《さら》に大《おお》きな失望《しつぼう》の淵《ふち》に沈《しず》んだが、中《なか》にも手中《しゅちゅう》の珠《たま》を奪《うば》われたような、悲《かな》しみのどん底《ぞこ》に落《お》ち込《こ》んだのは、菊之丞《きくのじょう》でなければ夜《よ》も日《ひ》もあけない各大名《かくだいみょう》や旗本屋敷《はたもとやしき》の女中達《じょちゅうたち》だった。
殊《こと》に、この知《し》らせを受《う》けて、天地《てんち》が覆《くつが》えった程《ほど》の驚愕《きょうがく》を覚《おぼ》えたのは、南町奉行《みなみまちぶぎょう》本多信濃守《ほんだしなののかみ》の妹《いもうと》お蓮《れん》であろう。折《おり》から夕餉《ゆうげ》の膳《ぜん》に対《むか》おうとしていたお蓮《れん》は、突然《とつぜん》手《て》にした箸《はし》を取落《とりおと》すと、そのまま狂気《きょうき》したように、ふらふらッと立上《たちあが》って、跣足《はだし》のまま庭先《にわさき》へと駆《か》け降《お》りて行《い》った。
二三|人《にん》の侍女《じじょ》が、直《す》ぐさまその後《あと》を追《お》った。
「もし、お嬢様《じょうさま》。お危《あぶ》のうござります」
「何《なに》をするのじゃ。放《はな》しや」
「どちらへおいで遊《あそ》ばします」
「知《し》れたことじゃ。これから直《す》ぐに、浜村屋《はまむらや》の許《もと》へまいる」
「これはまあ、滅相《めっそう》なことを仰《おっ》しゃいます」
「何《なに》が滅相《めっそう》なことじゃ、わらわがまいって、浜村屋《はまむらや》の病気《びょうき》を癒《なお》して取《と》らせるのじゃ。――邪間《じゃま》だてせずと、そこ退《の》きゃ」
「なりませぬ」
「ええもう、退《の》きゃというに、退《の》かぬか」
手荒《てあら》く突《つ》き退《の》けられた一人《ひとり》の侍女《じじょ》は、転《ころ》びながらも、お蓮《れん》の裾《すそ》を確《しか》と押《おさ》えた。
「お嬢様《じょうさま》。お気《き》をお静《しず》め遊《あそ》ばしまして。……」
「いらぬことじゃ。放《はな》せ」
「いいえお放《はな》しいたしませぬ。今頃《いまごろ》お出《で》まし遊《あそ》ばしましては、お身分《みぶん》に係《かか》わりまする。もしまた、たってお出《で》まし遊《あそ》ばしますなら、一|応《おう》わたくし共《ども》から御家老《ごかろう》へ、その由《よし》お伝《つた》えいたしませねば。……」
「くどいわ。放《はな》せというに、放《はな》さぬか」
夢中《むちゅう》で振《ふ》り払《はら》ったお蓮《れん》の片袖《かたそで》は、稲穂《いなほ》のように侍女《じじょ》の手《て》に残《のこ》って、惜《お》し気《げ》もなく土《つち》を蹴《け》ってゆく白臘《はくろう》の足《あし》が、夕闇《ゆうやみ》の中《なか》にほのかに白《しろ》かった。
「もし、お嬢様《じょうさま》。――」
池《いけ》を廻《まわ》って、築山《つきやま》の裾《すそ》を走《はし》るお蓮《れん》の姿《すがた》は、狐《きつね》のように速《はや》かった。
「それ、向《むこ》うから。――」
「あちらへお廻《まわ》り遊《あそ》ばしました」
男気《おとこけ》のない奥庭《おくにわ》に、次第《しだい》に数《かず》を増《ま》した女中達《じょちゅうたち》は、お蓮《れん》の姿《すがた》を見失《みうしな》っては一|大事《だいじ》と思《おも》ったのであろう。老《おい》も若《わか》きもおしなべて、庭《にわ》の木戸《きど》へと歩《ほ》を乱《みだ》した。
が、必死《ひっし》に駆《か》け着《つ》けた庭《にわ》の木戸《きど》には、もはやお蓮《れん》の姿《すがた》は見《み》られなかった。
「お嬢様《じょうさま》。――」
「お待《ま》ち遊《あそ》ばせ」
しかも、年《ねん》に一|度《ど》も、駆《か》けたことなどのないお蓮《れん》は、庭木戸《にわきど》を出《で》は出《で》たものの、既《すで》に脚《あし》が釣《つ》るまでに疲《つか》れ果《は》てて、口《くち》の中《なか》で菊之丞《きくのじょう》の名《な》を呼《よ》びながら、今《いま》はもはや堪《た》えられない歩《あゆ》みを、いずくへとのあてもなしに、無理《むり》から先《さき》へ先《さき》へと運《はこ》んでいた。
「――浜村屋《はまむらや》、待《ま》ちや。わらわを置《お》いて、そなたばかりがどこへ行《ゆ》く。――そりゃ聞《き》こえぬぞ。わらわも一|緒《しょ》じゃ。そなたの行《ゆ》きやるところなら、地獄《じごく》の極《はて》へなりと、いといはせぬ。連《つ》れて行《ゆ》きゃ。速《はよ》う連《つ》れて行《ゆ》きゃ」
二十一で坂部壱岐守《さかべいきのかみ》へ嫁《とつ》いで八|年目《ねんめ》に戻《もど》って来《き》た。既《すで》に三十の身《み》ではあったが、十四五の頃《ころ》から早《はや》くも本多小町《ほんだこまち》と謳《うた》われたお蓮《れん》は、まだ漸《ようやく》く二十四五にしか見《み》えず、いずれかといえば妖艶《ようえん》なかたちの、情熱《じょうねつ》に燃《も》えた眼《め》を据《す》えて、夕闇《ゆうやみ》の中《なか》を音《おと》もなく歩《ある》いてゆく様《さま》は、ぞッとする程《ほど》凄《すご》かった。
八
いずこの大名《だいみょう》旗本《はたもと》の屋敷《やしき》に、如何《いか》なる騒《さわ》ぎが持上《もちあが》っていようとも、それらのことは、まったく別《べつ》の世界《せかい》の出来事《できごと》のように、菊之丞《きくのじょう》の家《うち》は、静《しず》かにしめやかであった。
座元《ざもと》をはじめ、あらゆる芝居道《しばいどう》の人達《ひとたち》はいうまでもなく、贔屓《ひいき》の人々《ひとびと》、出入《でいり》のたれかれと、百を越《こ》える人数《にんずう》は、仕切《しき》りなしに押《お》し寄《よ》せて、さしも豪奢《ごうしゃ》を誇《ほこ》る住居《すまい》も所《ところ》狭《せま》きまでの混雑《こんざつ》を見《み》ていたが、しかも菊之丞《きくのじょう》の冷たいむくろを安置《あんち》した八|畳《じょう》の間《ま》には、妻女《さいじょ》のおむらさえ入《い》れないおせんがただ一人《ひとり》、首《くび》を垂《た》れたまま、黙然《もくねん》と膝《ひざ》の上《うえ》を見詰《みつ》めていた。
ふと、おせんの固《かた》く結《むす》んだ唇《くちびる》から、低《ひく》い、微《かす》かな声《こえ》が漏《も》れた。
「吉《きち》ちゃん。おかみさんや、ほかの人達《ひとたち》にお願《ねが》いして、あたしがたった一人《ひとり》、お前《まえ》の枕許《まくらもと》へ残《のこ》してもらったのは、十|年前《ねんまえ》の、飯事遊《ままごとあそ》びが、忘《わす》れられないからでござんす。――みんなして、近所《きんじょ》の飛鳥山《あすかやま》へ、お花見《はなみ》に出《で》かけたあの時《とき》、いつもの通《とお》り、あたしとお前《まえ》とは夫婦《ふうふ》でござんした。幔幕《まんまく》を張《は》りめぐらした、どこぞの御大家《ごたいけ》の中《なか》へ、迷《まよ》い込《こ》んだあたし達《たち》は、それお前《まえ》も覚《おぼ》えてであろ。絵《え》にあるような綺麗《きれい》な、お嬢様《じょうさま》に何《なに》やかやと御馳走《ごちそう》を頂戴《ちょうだい》した挙句《あげく》、お化粧直《けしょうなお》しの幕《まく》の隅《すみ》で、あたしはお前《まえ》に、お前《まえ》はあたしに、互《たがい》にお化粧《けしょう》をしあって、この子達《こたち》、もう小《こ》十|年《ねん》も経《た》ったなら、きっと惚《ほ》れ惚《ぼ》れするように美《うつく》しくなるであろうと、お世辞《せじ》にほめて頂《いただ》いた、あの夢《ゆめ》のような日《ひ》のことが、いまだにはっきり眼《め》に残《のこ》って……吉《きち》ちゃん。あたしゃ今こそお前《まえ》に、精根《せいこん》をつくしたお化粧《けしょう》を、してあげとうござんす。――紅白粉《べにおしろい》は、家《いえ》を出《で》る時《とき》袱紗《ふくさ》に包《つつ》んで持《も》って来《き》ました。あたしの遣《つか》いふるしでござんすが、この紅筆《べにふで》は、お前《まえ》が王子《おうじ》を越《こ》す時《とき》に、あたしにおくんなすった。今では形見《かたみ》。役者衆《やくしゃしゅう》の、お前《まえ》のお気《き》に入《い》るように出来《でき》ますまいけれど、辛抱《しんぼう》しておくんなさい。せめてもの、あたしの心《こころ》づくしでござんす」
北《きた》を枕《まくら》に、静《しず》かに眼《め》を閉《と》じている菊之丞《きくのじょう》の、女《おんな》にもみまほしいまでに美《うつく》しく澄《す》んだ顔《かお》は、磁器《じき》の肌《はだ》のように冷《つめ》たかった。
白粉刷毛《おしろいばけ》を持《も》ったおせんの
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