に提《さ》げた手拭《てぬぐい》は、重《おも》く濡《ぬ》れたままになっていた。
「藤吉《とうきち》」
 春信《はるのぶ》は、鯉《こい》の背《せ》から眼《め》を放《はな》すと、急《きゅう》に思《おも》いだしたように、縁先《えんさき》の万年青《おもと》の葉《は》を掃除《そうじ》している、少年《しょうねん》の門弟《もんてい》藤吉《とうきち》を呼《よ》んだ。
「へえ」
「八つぁんは、まだ帰《かえ》って来《こ》ないようだの」
「へえ」
「おせんもまだ見《み》えないか」
「へえ」
「堺屋《さかいや》の太夫《たゆう》もか」
「へえ」
「おまえちょいと、枝折戸《しおりど》へ出《で》て見《み》て来《き》な」
「かしこまりました」
 藤吉《とうきち》は、万年青《おもと》の葉《は》から掃除《そうじ》の筆《ふで》を放《はな》すと、そのまま萩《はぎ》の裾《すそ》を廻《まわ》って、小走《こばし》りにおもてへ出《で》て行《い》った。
「今時分《いまじぶん》、おせんがいないはずはないから、ひょっとすると八五|郎《ろう》の奴《やつ》、途中《とちゅう》で誰《だれ》かに遇《あ》って、道草《みちくさ》を食《く》ってるのかも知《
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