こう》だぜ。――そんな遠《とお》くにいたんじゃ、本当《ほんとう》の香《かお》りは判《わか》らねえから、もっと薬罐《やかん》の傍《そば》に寄《よ》って、鼻《はな》の穴《あな》をおッぴろげて嗅《か》いで見《み》ねえ」
「いってえ、何《なに》を煮《に》てるのよ」
「江戸《えど》はおろか、日本中《にほんじゅう》に二つとねえ代物《しろもの》を煮《に》てるんだ」
「おどかしちゃいけねえ。そんな物《もの》がある訳《わけ》はなかろうぜ」
「なにねえことがあるものか。――それ見《み》ねえ。おめえ、この袋《ふくろ》にゃ覚《おぼ》えがあろう」
 鼻《はな》の先《さき》へ付《つ》き付《つ》けた紅《べに》の糠袋《ぬかぶくろ》は、春重《はるしげ》の手《て》の中《なか》で、珠《たま》のように小《ちい》さく躍《おど》った。
「あッ。そいつを。……」
「どうだ。おせんの爪《つめ》だ。この匂《におい》を嫌《きら》うようじゃ、男《おとこ》に生《うま》れた甲斐《かい》がねえぜ」
「重《しげ》さん。おめえは、よっぽどの変《かわ》り者《もの》だのう」
 松《まつ》五|郎《ろう》は、あらためて春重《はるしげ》の顔《かお》を見守《み
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