れて来《き》たのであろう。行燈《あんどん》の輪《わ》が次第《しだい》に色《いろ》を濃《こ》くするにつれて、狭《せま》いあたりの有様《ありさま》は、おのずから松《まつ》五|郎《ろう》の前《まえ》にはっきり浮《う》き出《だ》した。
「絵《え》をかいてたんじゃねえのかい」
「絵《え》なんざかいちゃァいねえよ。――おめえにゃ、この匂《におい》がわからねえかの」
「膠《にかわ》だな」
「ふふ、膠《にかわ》は情《なさけ》ねえぜ」
「じゃァやっぱり、牛《うし》の皮《かわ》でも煮《に》てるのか」
「馬鹿《ばか》をいわッし。おいらが何《な》んで、牛《うし》の皮《かわ》に用《よう》があるんだ。もっともこの薬罐《やかん》の傍《そば》へ鼻《はな》を押《お》ッつけて、よく嗅《か》いで見ねえ」
「おいらァ、こんな匂《におい》は真《ま》ァ平《ぴら》だ」
「何《な》んだって。この匂《におい》がかげねえッて。ふふふ。世《よ》の中《なか》にこれ程《ほど》のいい匂《におい》は、またとあるもんじゃねえや、伽羅沈香《きゃらちんこう》だろうが、蘭麝《らんじゃ》だろうが及《およ》びもつかねえ、勿体《もったい》ねえくれえの名香《めい
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