げ》は、もう一|度《ど》糠袋《ぬかぶくろ》を握《にぎ》りしめて、薄気味悪《うすきみわる》くにやり[#「にやり」に傍点]と笑《わら》った。

  朝《あさ》


    一

 ちち、ちち、ちちち。
 行燈《あんどん》はともしたままになっていたが、外《そと》は既《すで》に明《あ》けそめたのであろう。今《いま》まで流《なが》し元《もと》で頻《しき》りに鳴《な》いていた虫《むし》の音《ね》が、絶《た》えがちに細《ほそ》ったのは、雨戸《あまど》から差《さ》す陽《ひ》の光《ひか》りに、おのずと怯《おび》えてしまったに相違《そうい》ない。
 が、虫《むし》の音《ね》の細《ほそ》ったことも、外《そと》が白々《しらじら》と明《あ》けそめて、路地《ろじ》の溝板《どぶいた》を踏《ふ》む人《ひと》の足音《あしおと》が聞《きこ》えはじめたことも、何《なに》もかも知《し》らずに、ただ独《ひと》り、破《やぶ》れ畳《だたみ》の上《うえ》に据《す》えた寺子屋机《てらこやつくえ》の前《まえ》に頑張《がんば》ったまま、手許《てもと》の火鉢《ひばち》に載《の》せた薬罐《やかん》からたぎる湯気《ゆげ》を、千|切《ぎ》れた蟋蟀
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