でも譲《ゆず》れる品《しな》じゃねえんだが、相手《あいて》がおせんに首《くび》ッたけの若旦那《わかだんな》だから、まず一|両《りょう》がとこで辛抱《しんぼう》してやろうと思《おも》ってるんだ」
「春重《はるしげ》さん。またお前《まえ》、つまらねえ細工物《さいくもの》でもこしらえたんだな」
「冗談《じょうだん》じゃねえ、こしらえたもンなんぞた、天《てん》から訳《わけ》が違うンだぜ」
「訳《わけ》が違《ちが》うッたって、そんな物《もの》がざらにあろうはずもなかろうじゃねえか」
「ところが、あるんだから面白《おもしれ》えや」
「そいつァいってえ、なんだってんだい」
「爪《つめ》よ」
「え」
「爪《つめ》だってことよ」
「爪《つめ》」
「その通《とお》りだ。おせんの身《み》についてた、嘘偽《うそいつわ》りのねえ生爪《なまづめ》なんだ」
「馬《ば》、馬鹿《ばか》にしちゃァいけねえ。いくらおせんの物《もの》だからッて、爪《つめ》なんざ、何《な》んの役《やく》にもたちゃァしねえや。かつぐのもいい加減《かげん》にしてくんねえ」
「ふん、物《もの》の値打《ねうち》のわからねえ奴《やつ》にゃかなわねえの。女《おんな》の身体《からだ》についてるもんで、年《ねん》が年中《ねんじゅう》、休《やす》みなしに伸《の》びてるもなァ、髪《かみ》の毛《け》と爪《つめ》だけだぜ。そのうちでも爪《つめ》の方《ほう》は、三日《みっか》見《み》なけりゃ目立《めだ》って伸《の》びる代物《しろもの》だ。――指《ゆび》の数《かず》で三百|本《ぽん》、糠袋《ぬかぶくろ》に入《い》れてざっと半分《はんぶん》よ。この混《ま》じりッけのねえおせんの爪《つめ》が、たった小判《こばん》一|枚《まい》だとなりゃ、若旦那《わかだんな》が猫《ねこ》のように飛《と》びつくなァ、磨《と》ぎたての鏡《かがみ》でおのが面《つら》を見《み》るより、はっきりしてるぜ」
春重《はるしげ》のまわりには、いつか、ぐるりと裸《はだか》の人垣《ひとがき》が出来《でき》ていた。
五
「千の字《じ》。おめえ、いい腕《うで》ンなったの」
「ふふふ」
「笑《わら》いごっちゃねえぜ。二十五|両《りょう》たァ、大束《おおたば》に儲《もう》けたじゃねえか」
「どこで、そいつを聞《き》いた」
「壁《かべ》に耳《みみ》ありよ。さっき、通《とお》りがかりに飛《と》び込《こ》んだ神田《かんだ》の湯屋《ゆや》で、傘屋《かさや》の金蔵《きんぞう》とかいう奴《やつ》が、てめえのことのように、自慢《じまん》らしく、みんなに話《はな》して聞《き》かせてたんだ」
「あいつ、もうそんな余計《よけい》なことを喋《しゃべ》りゃがったかい」
「喋《しゃべ》ったの、喋《しゃべ》らねえの段《だん》じゃねえや。紙屋《かみや》の若旦那《わかだんな》をまるめ込《こ》んで。――」
下総武蔵《しもふさむさし》の国境《くにざかい》だという、両国橋《りょうごくばし》のまん中《なか》で、ぼんやり橋桁《はしげた》にもたれたまま、薄汚《うすぎたな》い婆《ばあ》さんが一|匹《ぴき》五|文《もん》で売《う》っている、放《はな》し亀《かめ》の首《くび》の動《うご》きを見詰《みつ》めていた千|吉《きち》は、通《とお》りがかりの細川《ほそかわ》の厩中間《うまやちゅうげん》竹《たけ》五|郎《ろう》に、ぽんと背中《せなか》をたたかれて、立《た》て続《つづ》けに聞《き》かされたのが、柳湯《やなぎゆ》で、金蔵《きんぞう》がしゃべったという、橘屋《たちばなや》の一|件《けん》であった。
が、もう一|度《ど》竹《たけ》五|郎《ろう》が、鼻《はな》の頭《あたま》を引《ひ》ッこすって、ニヤリと笑《わら》ったその刹那《せつな》、向《むこ》うから来《き》かかった、八|丁堀《ちょうぼり》の与力《よりき》井上藤吉《いのうえとうきち》の用《よう》を聞《き》いている鬼《おに》七を認《みと》めた千|吉《きち》は、素速《すばや》く相手《あいて》を眼《め》で制《せい》した。
「叱《し》ッ。いけねえ。行《い》っちめえねえ」
「合点《がってん》だ」
するりと抜《ぬ》けるようにして、竹《たけ》五|郎《ろう》が行《い》ってしまうと、はやくも鬼《おに》七は、千|吉《きち》の眼《め》の前《まえ》に迫《せま》っていた。
「千|吉《きち》。おめえ、こんなとこで、何《なに》をうろうろしてるんだ」
「へえ。きょうは親父《おやじ》の、墓詣《はかめえ》りにめえりやした。その帰《けえ》りがけでござんして。……」
「墓詣《はかまい》り」
「へえ」
「いつッから、そんな心《こころ》がけになったんだ」
「どうか御勘弁《ごかんべん》を」
「勘弁《かんべん》はいいが、――丁度《ちょうど》いい所《ところ》でおめえに遭《あ》った。ちっとばかり
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