は気《き》の毒《どく》だぜ。千|吉《きち》は妹《いもうと》のおせんを餌《えさ》にして、若旦那《わかだんな》から、二十五|両《りょう》という大金《たいきん》をせしめやがったんだ」
「なに二十五|両《りょう》だって」
「どうだ。てえしたもんだろう」
「冗談《じょうだん》じゃねえ。二十五|両《りょう》といやァ、小判《こばん》が二十五|枚《まい》だぜ。こいつが二|両《りょう》とか、二|両《りょう》二|分《ぶ》とかいうンなら、まだしも話《はなし》の筋《すじ》が通《とお》るが、二十五|両《りょう》は飛《と》んでもねえ。あいつの首《くび》を引換《ひきかえ》にしたって、借《か》りられる金《かね》じゃァねえぜ。冗談《じょうだん》も休《やす》み休《やす》みいってくんねえ」
「ふん、知《し》らねえッてもなァおッかねえや。おいらァ現《げん》にたった今《いま》、この二つの眼《め》で、睨《にら》んで来《き》たばかりなんだ。山吹色《やまぶきいろ》で二十五|枚《まい》、滅多《めった》に見《み》られるかさ[#「かさ」に傍点]じゃァねえて」
「ふふふふ、金《きん》の字《じ》。その話《はなし》をもうちっと委《くわ》しく聞《き》かせねえか」
 そういいながら、柘榴口《ざくろぐち》から、にゅッと首《くび》を出《だ》したのは、絵師《えし》の春重《はるしげ》だった。
「春重《はるしげ》さん、お前《まえ》さんいたのかい」
「いたから顔《かお》を出《だ》したんだがの。大分《だいぶ》話《はなし》が面白《おもしろ》そうじゃねえか」
 春重《はるしげ》は、もう一|度《ど》ニヤリと笑《わら》った。

    四

「ふふふふ、金《きん》の字《じ》、なんで急《きゅう》に唖《おし》のように黙《だま》り込《こ》んじゃったんだ。話《はな》して聞《き》かせねえな。どうせおめえの腹《はら》が痛《いた》む訳《わけ》でもあるめえしよ」
 柘榴口《ざくろぐち》から流《なが》しへ出《で》て来《き》た春重《はるしげ》の様子《ようす》には、いつも通《とお》りの、妙《みょう》な粘《ねば》りッ気《け》が絡《から》みついていて、傘屋《かさや》の金蔵《きんぞう》の心持《こころもち》を、ぞッとする程《ほど》暗《くら》くさせずにはおかなかった。
「てえした面白《おもしれ》え話《はなし》でもねえからよ」
「なに面白《おもしろ》くねえことがあるもんか。二十五|両《りょう》といやァ、おいらのような貧乏人《びんぼうにん》は、まごまごすると、生涯《しょうがい》お目《め》にゃぶら下《さ》がれない大金《たいきん》だぜ。そいつをいかさま[#「いかさま」に傍点]だかさかさま[#「さかさま」に傍点]だかにつるさげて、物《もの》にしたと聞《き》いちゃァ、志道軒《しどうけん》の講釈《こうしゃく》じゃねえが、嘘《うそ》にも先《さき》を聞《き》かねえじゃいられねえからの。――相手《あいて》が橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》だったてえな、ほんまかい」
「おめえさん、それを聞《き》いてどうしようッてんだ」
 顔《かお》をしかめて、春重《はるしげ》を見守《みまも》ったのは、金蔵《きんぞう》に兄《あに》イと呼《よ》ばれた左官《さかん》の長吉《ちょうきち》であった。
「どうもしやァしねえがの。そいつがほんまなら、おいらもちっとばかり、若旦那《わかだんな》に借《か》りてえと思《おも》ってよ」
「若旦那《わかだんな》に借《か》りるッて」
「まずのう。だが安心《あんしん》しなよ。おいらの借りようッてな、二十五|両《りょう》の三十|両《りょう》のという、大《だい》それた訳《わけ》のもんじゃねえ。ほんの二|分《ぶ》か一|両《りょう》が関《せき》の山《やま》だ。それも種《たね》や仕《し》かけで取《と》るようなけちなこたァしやァしねえ。真証《しんしょう》間違《まちが》いなしの、立派《りっぱ》な品物《しなもの》を持《も》ってって、若旦那《わかだんな》の喜《よろこ》ぶ顔《かお》を見《み》ながら、拝借《はいしゃく》に及《およ》ぼうッてんだ」
「そいつァ駄目《だめ》だ」
「なんだって」
「駄目《だめ》ッてことよ。橘屋《たちばなや》の若旦那《わかだんな》は、たとえお大名《だいみょう》から拝領《はいりょう》の鎧兜《よろいかぶと》を持《も》ってッたって、金《かね》ァ貸しちゃァくれめえよ。――あの人《ひと》の欲《ほ》しい物《もの》ァ、日本中《にほんじゅう》にたったひとつ、笠森《かさもり》おせんの情《なさけ》より外《ほか》にゃ、ありゃァしねッてこった」
「だから、そのおせんの、身《み》から分《わ》けた物《もの》を、おいらァ買《か》ってもらいに行《い》こうッてえのよ」
「身《み》から分《わ》けた物《もの》。――」
「そうだ。他《ほか》の者《もの》が望《のぞ》んだら、百|両《りょう》
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