のと同《おな》じに、絶《た》え間《ま》なく耳《みみ》を奪《うば》った。
 への字《じ》に結《むす》んだ口《くち》に、煙管《きせる》を銜《くわ》えたまま、魅《み》せられたように人形《にんぎょう》を凝視《ぎょうし》し続《つづ》けている由斎《ゆうさい》は、何《なに》か大《おお》きく頷《うなず》くと、今《いま》し方《がた》坊主《ぼうず》がおこして来《き》た炭火《すみび》を、十|能《のう》から火鉢《ひばち》にかけて、独《ひと》りひそかに眉《まゆ》を寄《よ》せた。
「坊主《ぼうず》。おめえ、表《おもて》の声《こえ》が聞《きこ》えねえのか」
「誰《だれ》か来《き》ておりますか」
「来《き》てる。戸《と》を開《あ》けて見《み》ねえ」
「へえ」
「だが、こっちへ通《とお》しちゃならねえぜ」
 半信半疑《はんしんはんぎ》で立《た》って行《い》った坊主《ぼうず》は、背《せ》をまるくして、雨戸《あまど》の隙間《すきま》から覗《のぞ》いた。
「おや、あたしでござんすよ」
「おお、おせんさん」
 坊主《ぼうず》は、たてつけの悪《わる》い雨戸《あまど》を開《あ》けて、ぺこりと一つ頭《あたま》をさげた。そこには頭巾《ずきん》で顔《かお》を包《つつ》んだおせんが、傘《かさ》を肩《かた》にして立《た》っていた。
「親方《おやかた》は」
「仕事《しごと》なんで。――」
「御免《ごめん》なさいよ」
「ぁッいけません。お前《まえ》さんをお上《あ》げ申《もう》しちゃ、叱《しか》られる」
「ほほほほ、そんな心配《しんぱい》は止《や》めにしてさ」
「でもあたしが親方《おやかた》に。――」
「坊主《ぼうず》」と、鋭《するど》い声《こえ》が奥《おく》から聞《きこ》えた。
「へえ」
「いまもいった通《とお》りだ。たとえどなたでも、仕事場《しごとば》へは通《とお》しちゃならねえ」
「親方《おやかた》」と、おせんは訴《うった》えるように声《こえ》をかけた。
「どうかきょうだけ、堪忍《かんにん》しておくんなさいよ」
「いけねえ」
「あたしゃお前《まえ》さんに、断《ことわ》られるのを知《し》りながら、もう辛抱《しんぼう》が出来《でき》なくなって、この雨《あめ》の中《なか》を来《き》たんじゃござんせんか。――後生《ごしょう》でござんす。ちょいとの間《あいだ》だけでも。……」
「折角《せっかく》だが、お断《ことわ》りしやすよ。あっしゃァお前《まえ》さんから、この人形《にんぎょう》を請合《うけあ》う時《とき》、どんな約束《やくそく》をしたかはっきり覚《おぼ》えていなさろう。――のうおせんちゃん。あの時《とき》お前《まえ》は何《な》んといいなすった。あたしゃ死《し》んでる人形《にんぎょう》は欲《ほ》しくない。生《い》きた、魂《たましい》のこもった人形《にんぎょう》をこさえておくんなさるなら、どんな辛抱《しんぼう》でもすると、あれ程《ほど》堅《かた》く約束《やくそく》をしたじゃァねえか。――江戸《えど》一|番《ばん》の女形《おやま》、瀬川菊之丞《せがわきくのじょう》の生人形《いきにんぎょう》を、舞台《ぶたい》のままに彫《ほ》ろうッてんだ。なまやさしい業《わざ》じゃァねえなァ知《し》れている。あっしもきょうまで、これぞと思《おも》った人形《にんぎょう》を、七つや十はこさえて来《き》たが、これさえ仕上《しあ》げりゃ、死《し》んでもいいと思《おも》った程《ほど》、精魂《せいこん》を打《うち》込《こ》んだ作《さく》はしたこたァなかった。だが、今度《こんど》の仕事《しごと》ばかりァそうじゃァねえ。この生人形《いきにんぎょう》さえ仕上《しあ》げたら、たとえあすが日《ひ》、血《ち》へど[#「へど」に傍点]を吐《は》いてたおれても、決《けっ》して未練《みれん》はねえと、覚悟《かくご》をきめての真剣勝負《しんけんしょうぶ》だ。――お前《まえ》さんが、どこまで出来《でき》たか見《み》たいという。その心持《こころもち》ァ、腹《はら》の底《そこ》から察《さっ》してるが、ならねえ、あっしゃァ、いま、人形《にんぎょう》を塗《ぬ》ってるんじゃァねえ。おのが魂《たましい》を血《ち》みどろにして、死《し》ぬか生《い》きるかの、仕事《しごと》をしてるんだからの」
 由斎《ゆうさい》の声《こえ》を聞《き》きながら、ひと足《あし》ずつ後《あと》ずさりしていたおせんは、いつか磔《はりつけ》にされたように、雨戸《あまど》の際《きわ》へ立《た》ちすくんでいた。

    三

 ひと目《め》でいい、ひと目《め》でいいから会《あ》いたいとの、切《せつ》なる思《おも》いの耐《た》え難《がた》く、わざと両国橋《りょうごくばし》の近《ちか》くで駕籠《かご》を捨《す》てて、頭巾《ずきん》に人目《ひとめ》を避《さ》けながら、この質屋《しちや》の裏《うら》
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