》当《あ》てさせようと、松江《しょうこう》が春信《はるのぶ》と懇意《こんい》なのを幸《さいわ》い、善《ぜん》は急《いそ》げと、早速《さっそく》きのうここへ訪《たず》ねさせての、きょうであった。
「太夫《たゆう》、お待遠《まちどお》さまでござんしょうが、どうかこちらへおいでなすって、お茶《ちゃ》でも召上《めしあが》って、お待《ま》ちなすっておくんなまし」
 藤吉《とうきち》にも、何《な》んで師匠《ししょう》が堺屋《さかいや》を待《ま》たせるのか、一|向《こう》合点《がってん》がいかなかったが、張《は》り詰《つ》めていた気持《きもち》が急《きゅう》に緩《ゆる》んだように、しょんぼりと池《いけ》を見詰《みつ》めて立《た》っている後姿《うしろすがた》を見《み》ると、こういって声《こえ》をかけずにはいられなかった。
「へえ、おおきに。――」
「太夫《たゆう》は、おせんちゃんには、まだお会《あ》いなすったことがないんでござんすか」
「へえ、笠森様《かさもりさま》のお見世《みせ》では、お茶《ちゃ》を戴《いただ》いたことがおますが、先様《さきさま》は、何《なに》を知《し》ってではござりますまい。――したが若衆《わかしゅう》さん。おせんさんは、もはやお見《み》えではおますまいかな」
「つい今《いま》し方《がた》。――」
「では何《なに》か、絵《え》でも習《なろ》うていやはるのでは。――」
「さァ、大方《おおかた》そんなことでげしょうが、どっちにしても長《なが》いことじゃござんすまい。そこは日《ひ》が当《あた》りやす。こっちへおいでなすッて。……」
 ふと踵《くびす》を返《かえ》して、二|足《あし》三|足《あし》、歩《ある》きかかった時《とき》だった。隅《すみ》の障子《しょうじ》を静《しず》かに開《あ》けて、庭《にわ》に降《お》り立《た》った春信《はるのぶ》は、蒼白《そうはく》の顔《かお》を、振袖姿《ふりそですがた》の松江《しょうこう》の方《ほう》へ向《む》けた。
「太夫《たゆう》」
「おお、これはお師匠《ししょう》さんは。早《はよう》からお邪間《じゃま》して、えろ済《す》みません」
「済《す》まないのは、お前《まえ》さんよりこっちのこと、折角《せっかく》眠《ねむ》いところを、早起《はやお》きをさせて、わざわざ来《き》てもらいながら、肝腎《かんじん》のおせんが。――」
「おせんさんが、
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