うつ》すたわわの風情《ふぜい》。ゆうべの夢見《ゆめみ》が忘《わす》れられぬであろう。葉隠《はがく》れにちょいと覗《のぞ》いた青蛙《あおがえる》は、今《いま》にも落《お》ちかかった三|角頭《かくとう》に、陽射《ひざ》しを眩《まば》ゆく避《さ》けていた。
「駕籠屋《かごや》さん」
 ふと、おせんが声《こえ》をかけた。
「へえ」
「こっち側《がわ》だけ、垂《たれ》を揚《あ》げておくんなさいな」
「なんでげすッて」
「花《はな》が見《み》とうござんすのさ」
「合点《がってん》でげす」
 先棒《さきぼう》と後《うしろ》との声《こえ》は、正《まさ》に一|緒《しょ》であった。駕籠《かご》が地上《ちじょう》におろされると同時《どうじ》に、池《いけ》に面《めん》した右手《みぎて》の垂《たれ》は、颯《さっ》とばかりにはね揚《あ》げられた。
「まァ綺麗《きれい》だこと」
「でげすからあっしらが、さっきッからいってたじゃござんせんか。こんないい景色《けしき》ァ、毎朝《まいあさ》見《み》られる図《ず》じゃァねえッて。――ごらんなせえやし。お前《まえ》さんの姿《すがた》が見《み》えたら、つぼんでいた花《はな》が、あの通《とお》り一|遍《ぺん》に咲《さ》きやしたぜ」
「ちげえねえ。葉ッぱにとまってた蛙《かえる》の野郎《やろう》までが、あんな大《おお》きな眼《め》を開《あ》きゃァがった」
「もういいから、やっておくんなさい」
「そんなら、ゆっくりめえりやしょう。――おせんちゃんが垂《たれ》を揚《あ》げておくんなさりゃ、どんなに肩身《かたみ》が広《ひろ》いか知《し》れやァしねえ。のう竹《たけ》」
「そうともそうとも。こうなったら、急《いそ》いでくれろと頼《たの》まれても、足《あし》がいうことを聞《き》きませんや。あっしと仙蔵《せんぞう》との、役得《やくとく》でげさァね」
「ほほほほ、そんならあたしゃ、垂《たれ》をおろしてもらいますよ」
「飛《と》んでもねえ。駕籠《かご》に乗《の》る人《ひと》かつぐ人《ひと》、行《ゆ》く先《さき》ァお客《きゃく》のままだが、かついでるうちァ、こっちのままでげすぜ。――それ竹《たけ》、なるたけ往来《おうらい》の人達《ひとたち》に目立《めだ》つように、腰《こし》をひねって歩《ある》きねえ」
「おっと、御念《ごねん》には及《およ》ばねえ。お上《かみ》が許《ゆる》しておくんな
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