かぎょう》が出来《でき》やせんや。――そんなにいやなら、垂《たれ》を揚《あ》げるたいわねえから、そうじたばたと動《うご》かねえで、おとなしく乗《の》っておくんなせえ。――だが、考《かん》げえりゃ考《かん》げえるほど、このまま担《かつ》いでるな、勿体《もったい》ねえなァ」
駕籠《かご》はいま、秋元但馬守《あきもとたじまのかみ》の練塀《ねりべい》に沿《そ》って、蓮《はす》の花《はな》が妍《けん》を競《きそ》った不忍池畔《しのばずちはん》へと差掛《さしかか》っていた。
三
東叡山《とうえいざん》寛永寺《かんえいじ》の山裾《やますそ》に、周囲《しゅうい》一|里《り》の池《いけ》を見《み》ることは、開府以来《かいふいらい》江戸《えど》っ子《こ》がもつ誇《ほこ》りの一つであったが、わけても雁《かり》の訪《おとず》れを待《ま》つまでの、蓮《はす》の花《はな》が池面《いけおも》に浮《う》き出《で》た初秋《しょしゅう》の風情《ふぜい》は、江戸歌舞伎《えどかぶき》の荒事《あらごと》と共《とも》に、八百八|町《ちょう》の老若男女《ろうにゃくなんにょ》が、得意中《とくいちゅう》の得意《とくい》とするところであった。
近頃《ちかごろ》はやり物《もの》のひとつになった黄縞格子《きじまごうし》の薄物《うすもの》に、菊菱《きくびし》の模様《もよう》のある緋呉羅《ひごら》の帯《おび》を締《し》めて、首《くび》から胸《むね》へ、紅絹《べにぎぬ》の守袋《まもりぶくろ》の紐《ひも》をのぞかせたおせんは、洗《あら》い髪《がみ》に結《ゆ》いあげた島田髷《しまだまげ》も清々《すがすが》しく、正《ただ》しく座《すわ》った膝《ひざ》の上《うえ》に、両《りょう》の手《て》を置《お》いたまま、駕籠《かご》の中《なか》から池《いけ》のおもてに視線《しせん》を移《うつ》した。
夜《よ》が明《あ》けて、まだ五つには間《ま》があるであろう。ひと抱《かか》えもあろうと想《おも》われる蓮《はす》の葉《は》に、置《お》かれた露《つゆ》の玉《たま》は、いずれも朝風《あさかぜ》に揺《ゆ》れて、その足《あし》もとに忍《しの》び寄《よ》るさざ波《なみ》を、ながし目《め》に見《み》ながら咲《さ》いた花《はな》の紅《べに》が招《まね》く尾花《おばな》のそれとは変《かわ》った清《きよ》い姿《すがた》を、水鏡《みずかがみ》に映《
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