》いかぶさったその顔《かお》は、益々《ますます》上気《じょうき》してゆくばかりであった。
三
「重《しげ》さん。もし、重《しげ》さんは留守《るす》かい。――おやッ、天道様《てんとうさま》が臍《へそ》の皺《しわ》まで御覧《ごらん》なさろうッて真《ま》ッ昼間《ぴるま》、あかりをつけッ放《ぱな》しにしてるなんざ、ひど過《す》ぎるぜ。――寝《ね》ているのかい。起《お》きてるんなら開《あ》けてくんねえ」
どこかで一|杯《ぱい》引《ひ》っかけて来《き》た、酔《よ》いの廻《まわ》った舌《した》であろう。声《こえ》は確《たしか》に彫師《ほりし》の松《まつ》五|郎《ろう》であった。
「ふふふふ。とうとう寄《よ》りゃがったな」
首《くび》をすくめながら、口《くち》の中《なか》でこう呟《つぶや》いた春重《はるしげ》は、それでも爪《つめ》を煮込《にこ》んでいる薬罐《やかん》の傍《そば》から顔《かお》を放《はな》さずに、雨戸《あまど》の方《ほう》を偸《ぬす》み見《み》た。陽《ひ》は高々《たかだか》と昇《のぼ》っているらしく、今《いま》さら気付《きづ》いた雨戸《あまど》の隙間《すきま》には、なだらかな日《ひ》の光《ひかり》が、吹矢《ふきや》で吹《ふ》き込《こ》んだように、こまい[#「こまい」に傍点]の現《あらわ》れた壁《かべ》の裾《すそ》へ流《なが》れ込《こ》んでいた。
「春重《はるしげ》さん。重《しげ》さん。――」
が、それでも春重《はるしげ》は返事《へんじ》をしずに、そのまま鎌首《かまくび》を上《あ》げて、ひそかに上《あが》りはなの方《ほう》へ這《は》い寄《よ》って行《い》った。
「おかしいな。いねえはずァねえんだが。――あかりをつけて寝《ね》てるなんざ、どっちにしても不用心《ぶようじん》だぜ。おいらだよ。松《まつ》五|郎《ろう》様《さま》の御登城《ごとじょう》だよ」
「もし、親方《おやかた》」
突然《とつぜん》、隣《となり》の女房《にょうぼう》おたきの声《こえ》が聞《き》こえた。
「ねえお上《かみ》さん。ここの家《うち》ァ留守《るす》でげすかい。寝《ね》てるんだか留守《るす》なんだか、ちっともわからねえ」
「いますともさ。だが親方《おやかた》、悪《わる》いこたァいわないから、滅多《めった》に戸《と》を開《あ》けるなァお止《よ》しなさいよ。そこを開《あ》けた日《ひ》にゃ
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