よ》のない女護《にょご》ヶ|島《しま》、ここから根岸《ねぎし》を抜《ぬ》けさえすりゃァ、眼《め》をつぶっても往《い》けやさァね」
「折角《せっかく》だが、そんな所《ところ》は、あたしゃきょうから嫌《きら》いになったよ」
「なんでげすって」
「橘屋徳太郎《たちばなやとくたろう》、女房《にょうぼう》はかぎ屋のおせんにきめました」
「と、とんでもねえ、若旦那《わかだんな》。おせんはそんななまやさしい。――」
「おっと皆《みな》までのたまうな。手前《てまえ》、孫呉《そんご》の術《じゅつ》を心得《こころえ》て居《お》りやす」
「損《そん》五も得《とく》七もありゃァしません。当時《とうじ》名代《なだい》の孝行娘《こうこうむすめ》、たとい若旦那《わかだんな》が、百|日《にち》お通《かよ》いなすっても、こればっかりは失礼《しつれい》ながら、及《およ》ばぬ鯉《こい》の滝登《たきのぼ》りで。……」
「松《まつ》っぁん」
「へえ」
「帰《かえ》っとくれ」
「えッ」
「あたしゃ何《な》んだか頭痛《ずつう》がして来《き》た。もうお前《まえ》さんと、話《はなし》をするのもいやンなったよ」
「そ、そんな御無態《ごむたい》をおいいなすっちゃ。――」
「どうせあたしゃ無態《むたい》さ。――この煙草入《たばこいれ》もお前《まえ》に上《あ》げるから、とっとと帰《かえ》ってもらいたいよ」
三日月《みかづき》に、谷中《やなか》の夜道《よみち》は暗《くら》かった。その暗《くら》がりをただ独《ひと》り鳴《な》く、蟋蟀《こおろぎ》を踏《ふ》みつぶす程《ほど》、やけな歩《あゆ》みを続《つづ》けて行《い》く、若旦那《わかだんな》徳太郎《とくたろう》の頭《あたま》の中《なか》は、おせんの姿《すがた》で一|杯《ぱい》であった。
五
「ふん、何《な》んて馬鹿気《ばかげ》た話《はなし》なんだろう。こっちからお頼《たの》み申《もう》して来《き》てもらった訳《わけ》じゃなし。若旦那《わかだんな》が手《て》を合《あわ》せて、たっての頼《たの》みだというからこそ、連《つ》れて来《き》てやったんじゃねえか、そいつを、自分《じぶん》からあわてちまってよ。垣根《かきね》の中《なか》へ突《つ》ンのめったばっかりに、ゆっくり見物《けんぶつ》出来《でき》るはずのおせんの裸《はだか》がちらッとしきゃのぞけなかったんだ。――面白《おも
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