こえ》がいけやせん。おせんの浴衣《ゆかた》が肩《かた》から滑《すべ》るのを、見《み》ていなすったまでは無事《ぶじ》でげしたが、さっと脱《ぬ》いで降《お》りると同時《どうじ》に、きゃっと聞《き》こえた異様《いよう》な音声《おんせい》。差《さ》し詰《づめ》志道軒《しどうけん》なら、一|天《てん》俄《にわか》にかき曇《くも》り、あれよあれよといいもあらせず、天女《てんにょ》の姿《すがた》は忽《たちま》ちに、隠《かく》れていつか盥《たらい》の中《なか》。……」
「おいおい松《まっ》つぁん。いい加減《かげん》にしないか。声《こえ》を出《だ》したなお前《まえ》が初《はじ》めだ」
「おやいけねえ。いくら主《しゅ》と家来《けらい》でも、あっしにばかり、罪《つみ》をなするなひどうげしょう」
「ひどいことがあるもんか。これからゆっくりかみしめて、味《あじ》を見《み》ようというところで、お前《まえ》に腰《こし》を押《お》されたばっかりに、それごらん、手《て》までこんなに傷《きず》だらけだ」
「そんならこれでもお付《つ》けなんって。……おっとしまった。きのうかかあが洗《あら》ったんで、まるっきり袂《たもと》くそがありゃァしねえ」
「冗談《じょうだん》いわっし、お前《まえ》の袂《たもと》くそなんぞ付《つ》けられたら、それこそ肝腎《かんじん》の人《ひと》さし指《ゆび》が、本《もと》から腐《くさ》って落《お》ちるわな」
「あっしゃァまだ瘡気《かさけ》の持合《もちあわ》せはござせんぜ」
「なにないことがあるものか。三日《みっか》にあげず三|枚橋《まいばし》へ横丁《よこちょう》へ売女《やまねこ》を買《か》いに出《で》かけてるじゃないか。――鼻《はな》がまともに付《つ》いてるのが、いっそ不思議《ふしぎ》なくらいなものだ」
「こいつァどうも御挨拶《ごあいさつ》だ。人《ひと》の知《し》らない、おせんの裸《はだか》をのぞかせた挙句《あげく》、鼻《はな》のあるのが不思議《ふしぎ》だといわれたんじゃ、松《まつ》五|郎《ろう》立《た》つ瀬《せ》がありやせん。冗談《じょうだん》は止《よ》しにして、ひとつ若旦那《わかだんな》、縁起直《えんぎなお》しに、これから眼《め》の覚《さ》めるとこへ、お供《とも》をさせておくんなさいまし」
「眼《め》の覚《さ》めるとことは。――」
「おとぼけなすっちゃいけません。闇《やみ》の夜《
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