いや》の男衆《おとこしゅう》新《しん》七は、これもおこのと同《おな》じように、柳原《やなぎはら》の土手《どて》を八|辻《つじ》ヶ|原《はら》へと急《いそ》いだが、夢中《むちゅう》になって走《はし》り続《つづ》けてきたせいであろう。右《みぎ》へ行《い》く白壁町《しろかべちょう》への道《みち》を左《ひだり》へ折《お》れたために、狐《きつね》につままれでもしたように、方角《ほうがく》さえも判《わか》らなくなった折《おり》も折《おり》、彼方《かなた》の本多豊前邸《ほんだぶぜんてい》の練塀《ねりべい》の影《かげ》から、ひた走《はし》りに走《はし》ってくる女《おんな》の気配《けはい》。まさかと思《おも》って眼《め》をすえた刹那《せつな》瞼《まぶた》ににじんだ髪《かみ》かたちは、正《まさ》しくおこのの姿《すがた》だった。
新《しん》七は、はッとして飛《と》び上《あが》った。
「おお、お上《かみ》さん」
「あッ。お前《まえ》はどこへ」
「どこへどころじゃござりません。お上《かみ》さんこそ今時分《いまじぶん》、どちらへおいでなさいました」
「わたしは、お前《まえ》も知《し》っての通《とお》り、あの絵師《えし》の春信《はるのぶ》さんのお宅《たく》へ、いって来《き》ました」
「そんならやっぱり、春信師匠《はるのぶししょう》のお宅《たく》へ」
「お前《まえ》がまた、そのようなことを訊《き》いて、何《な》んにしやはる」
「手前《てまえ》は太夫《たゆう》からのおいいつけで、お上《かみ》さんをお迎《むか》えに上《あが》ったのでござります」
「わたしを迎《むか》えに。――」
「へえ。――そうしてあの帯《おび》をどうなされました」
「何《なに》、帯《おび》とえ」
「はい。おせんさんの帯《おび》は、お上《かみ》さんが、お持《も》ちなされたのでござりましょう」
「そのような物《もの》を、わたしが知《し》ろかいな」
「いいえ。知《し》らぬことはございますまい。先程《さきほど》お出《で》かけなさる時《とき》、帯《おび》を何《な》んとやら仰《おっ》しゃったのを、新《しん》七は、たしかにこの耳《みみ》で聞《き》きました」
「知《し》らぬ知《し》らぬ。わたしが春信《はるのぶ》さんをお訊《たず》ねしたのは帯《おび》や衣装《いしょう》のことではない。今度《こんど》鶴仙堂《かくせんどう》から板《いた》おろしをしやはる
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