描《か》いたものにゃ違《ちが》いないが、まだ向《むこ》うの手《て》へ渡《わた》さないうちに、太夫《たゆう》が来《き》て、貸《か》してくれとのたッての頼《たの》み、これがなくては、肝腎《かんじん》の芝居《しばい》が出来《でき》ないとまでいった挙句《あげく》、いや応《おう》なしに持《も》って行《い》かれてしまったものだ。おせんにゃもとより、内所《ないしょ》で貸《か》して渡《わた》した品物《しなもの》、今更《いまさら》急《きゅう》に返《かえ》す程《ほど》なら、あれまでにして、持《も》って行《い》きはしなかろう。お上《かみ》さん。お前《まえ》、つまらない料簡《りょうけん》は、出《だ》さないほうがいいぜ」
「そんならなんぞ、わたしがひとりの料簡《りょうけん》で。……」
「そうだ。これがおせんの帯《おび》でなかったら、まさかお前《まえ》さんは、この夜道《よみち》を、わざわざここまで返《かえ》しにゃ来《き》なさるまい。太夫《たゆう》が締《し》めて踊《おど》ったとて、おせんの色香《いろか》が移《うつ》るという訳《わけ》じゃァなし、芸人《げいにん》のつれあいが、そんな狭《せま》い考《かんが》えじゃ、所詮《しょせん》[#「所詮」は底本では「所謂」]うだつは揚《あ》がらないというものだ。余計《よけい》なお接介《せっかい》のようだが、今頃《いまごろ》太夫《たゆう》は、帯《おび》の行方《ゆくえ》を探《さが》しているだろう。お前《まえ》さんの来《き》たこたァ、どこまでも内所《ないしょ》にしておこうから、このままもう一|度《ど》、持《も》って帰《かえ》ってやるがいい」
「ほほほ、お師匠《ししょう》さん」
おこのは冷《つめ》たく額《ひたい》で笑《わら》った。
「え」
「折角《せっかく》の御親切《ごしんせつ》でおますが、いったんお返《かえ》ししょうと、持《も》って参《さん》じましたこの帯《おび》、また拝借《はいしゃく》させて頂《いただ》くとしましても、今夜《こんや》はお返《かえ》し申《もう》します」
「ではどうしても、置《お》いて行《い》こうといいなさるんだの」
「はい」
「そうかい。それ程《ほど》までにいうんなら、仕方《しかた》がない、預《あず》かろう。その換《かわ》り、太夫《たゆう》が借《か》りに来《き》たにしても、もう二|度《ど》と再《ふたた》び貸《か》すことじゃないから、それだけは確《しか
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