青《あお》く動《うご》いた。
二
その時分《じぶん》、当《とう》のおこのは、駕籠《かご》を急《いそ》がせて、月《つき》のない柳原《やなぎはら》の土手《どて》を、ひた走《はし》りに走《はし》らせていた。
欝金《うこん》の風呂敷《ふろしき》に包《つつ》んで、膝《ひざ》の上《うえ》に確《しっか》と抱《かか》えたのは、亭主《ていしゅ》の松江《しょうこう》が今度《こんど》森田屋《もりたや》のおせんの狂言《きょうげん》を上演《じょうえん》するについて、春信《はるのぶ》の家《いえ》へ日参《にっさん》して借《か》りて来《き》た、いわくつきのおせんの帯《おび》であるのはいうまでもなかった。
鉄漿《おはぐろ》も黒々《くろぐろ》と、今朝《けさ》染《そ》めたばかりのおこのの歯《は》は、堅《かた》く右《みぎ》の袂《たもと》を噛《か》んでいた。
当時《とうじ》江戸《えど》では一|番《ばん》だという、その笠森《かさもり》の水茶屋《みずぢゃや》の娘《むすめ》が、どれ程《ほど》勝《すぐ》れた縹緻《きりょう》にもせよ、浪速《なにわ》は天満天神《てんまんてんじん》の、橋《はし》の袂《たもと》に程近《ほどちか》い薬種問屋《やくしゅどんや》「小西《こにし》」の娘《むすめ》と生《う》まれて、何《なに》ひとつ不自由《ふじゆう》も知《し》らず、我《わが》まま勝手《かって》に育《そだ》てられて来《き》たおこのは、たとい役者《やくしゃ》の女房《にょうぼう》には不向《ふむき》にしろ、品《ひん》なら縹緻《きりょう》なら、人《ひと》には引《ひ》けは取《と》らないとの、固《かた》い己惚《うぬぼれ》があったのであろう。仮令《たとえ》江戸《えど》に幾《いく》千の女《おんな》がいようともうち[#「うち」に傍点]の太夫《たゆう》にばかりは、足《あし》の先《さき》へも触《ふ》らせることではないと、三|年前《ねんまえ》に婚礼早々《こんれいそうそう》大阪《おおさか》を発《た》って来《き》た時《とき》から、肚《はら》の底《そこ》には、梃《てこ》でも動《うご》かぬ強《つよ》い心《こころ》がきまっていた。
この秋《あき》の狂言《きょうげん》に、良人《おっと》が選《えら》んだ「おせん」の芝居《しばい》を、重助《じゅうすけ》さんが書《か》きおろすという。もとよりそれには、連《つ》れ添《そ》う身《み》の異存《いぞん》のあろうはず
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