押《おさ》えたまま、ぺこりと頭《あたま》をさげたのは、女房《にょうぼう》のおこのではなくて、男衆《おとこしゅう》の新《しん》七だった。
「新《しん》七かいな」
「へえ」
「おこのは何《なに》をしてじゃ」
「さァ」
「何《なん》としたぞえ」
「お上《かみ》さんは、もう一|時《とき》も前《まえ》にお出《で》かけなすって、お留守《るす》でござります」
「留守《るす》やと」
「へえ」
「どこへ行《い》った」
「白壁町《しろかべちょう》の、春信《はるのぶ》さんのお宅《たく》へ行《い》くとか仰《おっ》しゃいまして、――」
「何《な》んじゃと。春信《はるのぶ》さんのお宅《たく》へ行《い》った。そりゃ新《しん》七、ほんまかいな」
「ほんまでござります」
「おこのがまた、白壁町《しろかべちょう》さんへ、どのような用事《ようじ》で行《い》ったのじゃ。早《はよ》う聞《き》かせ」
「御用《ごよう》の筋《すじ》は存《ぞん》じませぬが、帯《おび》をどうとやらすると、いっておいででござりました」
「帯《おび》。新《しん》七。――そこの箪笥《たんす》をあけて見《み》や」
 あわてて箪笥《たんす》の抽斗《ひきだし》へ手《て》をかけた新《しん》七は、松江《しょうこう》のいいつけ通《どお》り、片《かた》ッ端《ぱし》から抽斗《ひきだし》を開《あ》け始《はじ》めた。
「着物《きもの》も羽織《はおり》も、みなそこへ出《だ》して見《み》や」
「こうでござりますか」
「もっと」
「これも」
「ええもういちいち聞《き》くことかいな。一|度《ど》にあけてしまいなはれ」
 ぎっしり、抽斗《ひきだし》一|杯《ぱい》に詰《つま》った衣装《いしょう》を、一|枚《まい》残《のこ》らず畳《たたみ》の上《うえ》へぶちまけたその中《なか》を、松江《しょうこう》は夢中《むちゅう》で引《ひ》ッかき廻《まわ》していたが、やがて眼《め》を据《す》えながら新《しん》七に命《めい》じた。
「おまえ、直《す》ぐに白壁町《しろかべちょう》へ、おこのの後《あと》を追《お》うて、帯《おび》を取《と》って戻《もど》るのじゃ」
「何《な》んの帯《おび》でござります」
「阿呆《あほう》め、おせんの帯《おび》じゃ。あれがのうては、肝腎《かんじん》の芝居《しばい》がわや[#「わや」に傍点]になってしまうがな」
 剃《そ》りたての松江《しょうこう》の眉《まゆ》は、
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