人《ひと》だったのだから。――
何某《なにがし》の御子息《ごしそく》、何屋《なにや》の若旦那《わかだんな》と、水茶屋《みずちゃや》の娘《むすめ》には、勿体《もったい》ないくらいの縁談《えんだん》も、これまでに五つや十ではなく、中《なか》には用人《ようにん》を使者《ししゃ》に立《た》てての、れッき[#「れッき」に傍点]としたお旗本《はたもと》からの申込《もうしこ》みも二三は数《かぞ》えられたが、その度毎《たびごと》に、おせんの首《くび》は横《よこ》に振《ふ》られて、あったら玉《たま》の輿《こし》に乗《の》りそこねるかと人々《ひとびと》を惜《お》しがらせて来《き》た腑甲斐《ふがい》なさ、しかも胸《むね》に秘《ひ》めた菊之丞《きくのじょう》への切《せつ》なる思《おも》いを、知《し》る人《ひと》とては一人《ひとり》もなかった。
名人《めいじん》由斎《ゆうさい》に、心《こころ》の内《うち》を打《う》ちあけて、三|年前《ねんまえ》に中村座《なかむらざ》を見《み》た、八百|屋《や》お七の舞台姿《ぶたいすがた》をそのままの、生人形《いきにんぎょう》に頼《たの》み込《こ》んだ半年前《はんとしまえ》から、おせんはきょうか明日《あす》かと、出来《でき》上《あが》る日《ひ》を、どんなに待《ま》ったか知《し》れなかったが、心魂《しんこん》を傾《かたむ》けつくす仕事《しごと》だから、たとえなにがあっても、その日《ひ》までは見《み》に来《き》ちゃァならねえ、行《ゆ》きますまいと誓《ちか》った言葉《ことば》の手前《てまえ》もあり、辛抱《しんぼう》に辛抱《しんぼう》を重《かさ》ねて来《き》たとどのつまりが、そこは女《おんな》の乱《みだ》れる思《おも》いの堪《た》え難《がた》く、きのうときょうの二|度《ど》も続《つづ》けて、この仕事場《しごとば》を、ひそかに訪《おとず》れる気《き》になったのであろう。頭巾《ずきん》の中《なか》に瞠《みは》った眼《め》には、涙《なみだ》の露《つゆ》が宿《やど》っていた。
「親方《おやかた》。――もし親方《おやかた》」
もう一|度《ど》おせんは奥《おく》へ向《むか》って、由斎《ゆうさい》を呼《よ》んで見《み》た。が、聞《きこ》えるものは、わずかに樋《とい》を伝《つた》わって落《お》ちる、雨垂《あまだ》れの音《おと》ばかりであった。
軒端《のきば》の柳《やなぎ》が、
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