姉に向って、幼い時の思い出を色々と話しかける。私はひどく愛情に飢えているのだ。それで私に愛情を持っていると感ぜられる唯ひとりの姉に、甘えるようにお喋りする。三十七歳の私が、子供の時、「ちょれから、ちょれから」といつも三つ上の姉をからかったような喋り方。
 それでも姉には、多くの子供たちや、夫があり、私だけに愛情を注いで貰えぬ淋しさがある。その思いが、二十年間、仲むつまじく連れそってきた姉の夫、義兄の帰宅してきた時から一層、ひどくなる。義兄は、財界を動かす「ニューフェース」の中に数えられる、ある経済団体の所長代理、すでに五十歳。その彼に私はインフェリオリティ・コンプレックスを感じる。その淋しさをまぎらせるため、私は姉の子供たちと将棋なぞやって気を紛《まぎ》らわせる。
 その間にも、私は桂子に手ひどく騙《だま》されたのを思いだす。彼女の浮気をしている時の姿態が悩ましく、瞼《まぶた》にちらついて、私は大抵、将棋に負けてしまう。もっとも私は、将棋があまり好きでないのだ。
 そうしたある朝、九時頃でもあろうか、アドルムを飲み、ぐっすり熟睡していた私を、姉がけたたましく揺り起す。枕元にはどうも見覚
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