そこに、私は自分の子供たちの無心にオドオドしている姿をみた。それで私の決心は再び変ったのである。私は子供たちの犠牲になろうと思い、再度、桂子と別れた。
そして妻子はすぐ上の姉の離れに住まわせ、私自身は近くに仕事部屋を借りて貰った。けれども、そうしていても始終、妻のふくれた顔が私のまぢかにある。また私と別れてヤケになっているという桂子が、社交喫茶に勤めだしたというのも気にかかる。といって、もう一度、桂子に顔を合せるのも苦しい。私は集金できる出版社をあてにして、黙って仕事部屋をとびだした。
催眠剤と酒の数日間が続く。眠ったのは、浅草のいまは廃業しているお好み焼屋とか、親しい編集者や作家の家。実に多くの人たちに言いようのない迷惑をかけた。淫猥《いんわい》で滅茶苦茶《めちゃくちゃ》に勘定が高く、白痴のヤミ屋がゆくものと決めていた社交喫茶というものにも、桂子が勤めているときき、二、三度場所をかえ、顔を出してみた。
浅草のある社交喫茶に桂子に似ている女給がいたので、彼女を連れ、一度だけホテルにいった。けれども、私は、桂子の肉体と違う女と交合する欲望はない。丁度、桂子との同棲中《どうせいちゅう》、よくしていたように、彼女のスベスベした両足を、私の両足の上にのせて貰っただけで催眠剤を多量に呷《あお》って、死んだように眠った。滑稽《こっけい》なことに、私は桂子に対してまだ貞操を守っていたのである。
そして桂子も私に対して同様な気持でいると信じていた。二十貫もあった私の肉体はやせおとろえて、二貫目もやせ、アバラ骨さえ出る始末。そうした夜昼なしの放浪の間、私は浅草でも、新橋でも、横須賀でも、鎌倉でも、ところかまわず、酒と催眠剤を飲み歩いていたが、絶えず夢うつつのように桂子の幻が浮んでいた。きっと桂子も私と同じように不幸なのであろう。
それで、ある日、思いあまって、私は新宿のいわゆる愛の古巣に戻っていった。午後三時頃、台所から、こっそり声をかけ、上ってもいいか、桂坊がいままだ不幸な気持かと尋ねた。クスクスいう含み笑いと、「あたし、うれしいわ」という甘ったるい桂子の色っぽい声。「あたし勿論、不幸よ。帰ってきて下さって嬉しいわ」
こんな言葉に私は有頂天になって、懐しい六畳間に台所から入っていった。彼女はしきなれた布団の上に、なまめかしい寝巻姿で寝ており、その枕元に、私たちのいた頃か
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