に出た後の時間である。それで翌日、老母の行ってくれた後のことにしようと思い、いつものようにアドルム五錠を貰ってから、子供たちと、離れの十畳にゆき、将棋をやっていた。
夜の九時頃になり、そのうち玄関を激しくノックする音。「誰」ときけば、「あたし」という独特のしわがれた声が桂子である。私は一面、嬉しく、一面、気まりが悪く、大急ぎで子供たちを退散させてから、優しく桂子を部屋に迎え入れた。先日までピチピチ肥って、とても元気そうにみえた桂子が、いまはアドルムの酔いもあるらしく、ひどくやつれてみえる。女性にとって、衣類はそれほど顔をやつれさすほど貴重なものらしい。ほどよく酔っている桂子はしきりに、(女にとり第一に大切なものは衣裳、第二が生命、第三が恋人よ)という。
私はまた彼女がそのように、いっさいをハッキリいう時の、お転婆の童女のような顔が好きなのだ。いつの間にか戸外には、いまの時代を思わせるような激しい風が、ピュウピュウ吹きはじめ、私は幾らかでも酔っている彼女を、そんな夜、ひとりで新宿まで帰すことが不安になった。
どちらかいえば、妻子のある私と関係しただけでも、桂子に好意の持てぬような姉までが、その夜は、彼女に同情し、彼女の災難をともに心配し、風が強いから、泊っていったらどうか、これからも昼間、時々、遊びに来るように勧めていた。そう勧められると駄々っ子の桂子は、どうしても帰ると言い張る。私はそんな風に酔った桂子が、深夜おそく、新宿のマーケット街を放浪する光景を想像すると慄然《りつぜん》となる。酔うとバカに気が強くなり、警官でも与太者でも見境なく食ってかかる彼女。その揚句、交番に留置されるならまだしも、与太者に撲《なぐ》られた上、身体を自由に弄《もてあそ》ばれたりしたら大変だ。
また彼女の過去に、そのような事件があるのを私は度々、目撃しているし、仄聞《そくぶん》したこともある。それ故、私は姉よりも強固に、彼女をひきとめ、その夜、一緒に寝た。けれども、私は姉にいわれ、医者に見て貰い、その日までペニシリンの注射を続けていたので、その夜は、彼女の身体に触る元気はなかった。翌朝、妙に悄然《しょうぜん》とみえる彼女を送って、近くの駅までゆく。
途中の喫茶店にチョコレートを飲みに入ったが、そこで彼女にせがみ、アドルムを三錠、十錠のみはじめると、私は丁度、麻薬中毒患者が薬にありつ
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