なたの、やるせなさそうな表情は心に残った。ぼくは自分を勝手だとおもいました。膨《ふく》れあがった海をみながら――。

     二十二

 とかく帰りの旅は気もゆるみ易《やす》く、且《か》つ練習がないので、みんなは酒を飲んだり、麻雀《マアジャン》をしたりした無為《むい》の日々を送っていましたが、どうも一種、頽廃《たいはい》の気風がなにか船中に漂《ただよ》いだした感じがしてなりませんでした。
 ハワイに入る前夜、園遊会が盛大《せいだい》に開かれ、会長のK博士夫妻もインデアンの羽根飾《はねかざ》り帽《ぼう》を冠《かぶ》って出場する和《なご》やかさでした。
 ぼくは借り物競争に出て、算盤《そろばん》と女の帽子と草の葉を一枚、集めてくるのにあたり、はじめに近くに見物していた内田さんの頭から、ものもいわずに、紅《あか》いベレエ帽をひったくり、ポケットにねじこむと、ドタドタと階段をおっこちて、事務所に殺到《さっとう》、事務員のひとが、呆気《あっけ》にとられているか、笑っているのか見極《みきわ》めもできぬ素早さで算盤をひったくり、次いで、階段を、大股《おおまた》に、三段位ずつ飛びあがって、頂辺《てっぺん》のガアデン・ルウムに入ろうとすると、ぴったり足がとまりました。緑|滴《した》たる芭蕉《ばしょう》の葉かげに、若い男女が二人、相擁《あいよう》しあって、愛を囁《ささや》いているのです。それだけをみて、ぼくはくるりと引っ返し、競争を廃棄《はいき》しました。算盤をかえして、次にベレエ帽をかえすとき、内田さんは、「ぼんち、どうして止《や》めたの」と訊《き》かれ、「草の葉がなかったんだ」と答えると、「莫迦《ばか》ね。ここにあるじゃないの」と彼女の胸にさしていた、忘れな草の造花を差出してくれました。

     二十三

 再び青きハワイ――。

 ワイキキ。プウルを村川と二人、平泳の競泳をしながら、日本へ帰ったらうんと遊ぼうや、とつまらない約束《やくそく》をし、プウルから上がり、脱衣場《だついじょう》に戻《もど》って行ったら、まんまと五|弗《ドル》入りの財布《さいふ》を盗《ぬす》まれていました。

 ホノルルの日本領事館で、官民合同の歓迎会《かんげいかい》が催《もよお》されたのち、邦人《ほうじん》の方の御好意《ごこうい》で、選手一同ハワイの名勝ダイヤモンド・ヘッドからハナウマイヘかけて、見物させて貰《もら》いました。殊《こと》にハナウマイの涯《はて》しない白砂のなだらかさ、緑葉|伸《の》び張ったパルムの梢《こずえ》の鮮《あざ》やかさ、赤や青の海草が繚乱《りょうらん》と潮に揺《ゆ》れてみえる岩礁《がんしょう》の、幾十|尋《ひろ》と透《す》いてみえる海の碧《あお》さは、原始的な風景というより風景の純粋《じゅんすい》さといった感銘《かんめい》がふかく、ながく心に残っています。
 また、それ迄《まで》みも知らぬ赤の他人の邦人の方が、日本選手という名前だけで、自動車と昼食とアイスクリイムを提供してくれ、その上、細々と御世話を焼いて下さった御好意は、真実、日本人同士ならばこそという気持を味って嬉《うれ》しかった。あれ程《ほど》、損得から離《はな》れた親切さには、その後めったに逢《あ》いません。

 出帆《しゅっぱん》前の船に、またハワイ生れのお嬢《じょう》さん達が集まって、華《はな》やかな、幾分エロチックな空気をふりまいていました。
 往《い》きのときに会った、だぼはぜ嬢さんや、テエプを投げてやった可憐《かれん》な娘《むすめ》も、みんな集まっていて、会えばお互《たが》いに忘れず、なによりも微笑《びしょう》が先に立つ懐《なつか》しさでした。
 だぼはぜ嬢は、相不変《あいかわらず》の心臓もので、ぼく達よりも一船前にホノルルを去った野球部のDさんやHさんに、生のパインアップルをやけに沢山託《たくさんこと》づけました。船室に置いておいたら、いつの間にか誰《だれ》か食ってしまい、ぼくには、そんな空《むな》しい贈《おく》り物をする、だぼはぜ嬢さんが哀《あわ》れだった。Dさんにファン・レタアも頼《たの》まれたのですが、それも結局、次から次へと託づけて行くうちに幾人もの男達に読まれて笑われ、どうにか当人に渡《わた》ったにしても、所詮《しょせん》、真面目《まじめ》には読んで貰えないものにと思われて気の毒だったのです。
 また例の可憐な娘に、テエプを抛《ほう》る約束《やくそく》をしたら、その娘は下船するとき、彼女《かのじょ》の写真と手紙を渡してくれました。船が出てから、便所に持ちこんで読んだらこんな風に書いてありました。
※[#二重かっこ開く]二三日前、新聞でオリムピック選手達が、明日ホノルルに寄航するという記事を読み、坂本さんにも会えると思ったら、その晩|夢《ゆめ》をみました。
 ずっと前、日本に帰って死んだお祖母《ばあ》さんが夢に出てきて、妾《わたし》の手を曳《ひ》いてくれ、「これから坂本さんのお宅に行くんだよ」と言います。「嬉しいなア」と妾は喜んで、冷たくてカサカサするお祖母さんの手に縋《すが》り、どんどん暗い狭《せま》い路《みち》を歩いて行きますと、まだ見たこともない日本の町は、燈火《とうか》が少なくて、たいへん淋《さび》しくありました。
 少し前方に、大きな灯のついた家がひとつあってお祖母さんは指をさし、「あれが坂本さんのホオムだよ」と申されました。
 ところが、お家の前に広い深い河がありまして、お祖母さんは妾の腕を抜《ぬ》けそうに引張り、ジャブジャブ渡って行きましたが、妾の着物はびしょぬれで、皺《しわ》くちゃになりました。すると、お祖母さんは、たいへん怖《こわ》い顔になって、「坂本さんのお宅は、お行儀が煩《うる》さいから、ちゃんとしたなりで、お前が行かないと、花嫁《はなよめ》さんにはなれないよ」と怒ったので、妾はいつ迄もいつ迄も泣いていました※[#二重かっこ閉じ]
 それからなんと書いてあったか忘れましたが、要するに、お兄さんみたいな気がするとか、いつ迄も忘れずにお便りを下さいな、とかそんな手紙の文句でした。でも、その夢の話だけは非常にシムボリックな気がして、感銘ふかく覚えています。異境に培《つちか》われた一輪の花の、やはり、実を結びがたい悩《なや》みと儚《はか》なさが露《あら》わにあらわれていて、ぼくには如何《いか》にも哀れに、悲しい夢だとおもわれたのです。

     二十四

 ハワイをでると、あとはもう横浜まで海ばかりだという気持が、なにかぼくを気抜けさせるものがあって、船室に引籠《ひきこも》って啄木《たくぼく》歌集を読んだり、日向《ひなた》に出ては海を眺《なが》めたり、そんな時を過していました。例《たと》えば、往きの船が、しょっちゅう太陽を感じさせる雰囲気《ふんいき》に包まれていたとすれば、帰りの船はまた絶えず月光が恋《こい》しいような、感傷の旅でした。ぼくは自己批判も糞《くそ》もなく、甘《あま》くて下手な歌や詩を作り、酩酊《めいてい》している時が多かった。
 そうした或《あ》る日のこと、中村さんにプロムナアド・デッキで、ぱったり逢《あ》うといきなりサインブックをつきつけられ、「なにか記念になるものを書いて」と頼《たの》まれました。船室に持って帰って、前の頁《ペエジ》を繰《く》ってみますと、――乙女《おとめ》の君の夢よ、安かれ。――とか、高く強く速く頑張れ《アルティアスアスフォルティアスモルティアズ》[#「高く強く速く頑張れ」にルビ]中村嬢――とか、様々な文句が書いてあるなかに、Y女子監督が――鯨吠《くじらほ》ゆ太平洋に金波照り行方《ゆくえ》知れぬ月の旅かな――とかいう様な歌を書いているので、ぼくも臆面《おくめん》なく――かにかくにオリムピックの想《おも》い出《で》となりにし人と土地のことかな、――と書きなぐり、中村嬢に渡《わた》しておきました。
 すると、二三日|経《た》って、甲板《かんぱん》で逢った内田さんがぼくに、「坂本さん、お願いがあるんやけれど」と珍《めずら》しく改まった調子です。「ハア」とぼくが堅《かた》くなると、今度は笑いだして、うしろに居た百|米《メエトル》のM嬢をふりかえり、「ねエ坂本さんの歌うまかったわねエ」「否《いや》、駄目《だめ》ですよ」と照れるぼくを黙殺《もくさつ》して、「ねエMさんがあなたに歌をかいて下さいって。幾《いく》つでも出来るだけ」Mさんというひとはピチピチとした弾力のある子供っぽい愛くるしい顔をしている癖《くせ》に、コケットの様な濃厚《のうこう》なお化粧《けしょう》をいつもしていました。
 そこでぼくは彼女達《かのじょたち》に婉然《えんぜん》と頼まれると、唯々諾々《いいだくだく》としてひき受け、その夜は首をひねって、彼女の桃色《ももいろ》のノオトに書きも書いたり、――かにかくに太平洋に星多き夜はともすれば人の恋しき――から始まり――海の上《へ》のノオトは浪《なみ》が消しゆきぬこのかなしみは誰が消すらむ――に終る、面皰《にきび》だらけの歌を十首ばかり作りあげ、翌日M嬢に手渡そうとおもいました。
 面皰といえば思いだす、面白い話があります。同船していたブラジル人で十五歳位の女の子がいて、それが大分早熟で、体操のKさんの跡《あと》ばかり追っていました。
 或るときブリッジの蔭《かげ》で、Kさんの名前を呼び喚《わめ》いている女の子が、あまり一生懸命《いっしょうけんめい》に呼び探しているので、「ヘェイ、ぼくと遊ぼう」と覚束《おぼつか》ない英語でからかうと、女の子は急に貴婦人のように取り澄《す》まし、しげしげ、ぼくの顔をみていましたが、いきなり唇《くちびる》をとがらせ「面皰《ピムプルズ》!」と吐きつけると、バタバタ駆《か》け去って行ってしまった。あとでぼくは、練習を止《や》めてから、めっきり増えた面皰づらを撫《な》で、苦く佗《わび》しい想いでした。

 翌日、歌をかいたノオトを返したくM嬢をさがしていると、また甲板で中村さんに出会い、M嬢は船室に内田さんと二人でいるとのことなので、早く渡してあげたく、かつて一度も行ったことのない、女の船室のほうへ行き、名札のかかったドアを軽く叩《たた》くと、中から内田さんの声がものうげに「どうぞ」という。開けたとたんに、ぼくは吃驚《びっくり》しました。内田さんがたった一人で、それもシュミイズ一枚で、横坐《よこずわ》りになり、髪《かみ》を梳《す》いていたのです。白粉《おしろい》と香水《こうすい》の匂《にお》いにむっとみちた部屋でした。
 内田さんは入って来たのがぼくなのをみると、一寸《ちょっと》坐り直し「坂本さんだったの」とみあげます。ぼくは内田さんの女《セックス》に圧倒《あっとう》されて居たたまれない気持で、早々にノオトを渡し、扉《とびら》を開けて出るのと殆《ほとん》ど同時でした。会長のK博士が温顔をきびしく結ばれて、此方《こっち》に洋杖《ステッキ》の音もコツコツとやって来られたのです。ぼくは、びっくり敗亡、飛ぶようにして自分の船室に逃げ帰りましたが、内田さんの小首を傾《かし》げた横坐りの姿は、可愛《かわい》い猫《ねこ》のような魅力《みりょく》と媚態《びたい》に溢《あふ》れていて、ながく心に残りました。
 しかし、それから間もなく、KOのボオトの連中が坊主《ぼうず》になるような事件を惹《ひ》き起したとき、ぼくは、なにか危なかったと胸をなでる気持がありました。
 事件といっても、大したことではなく、村川から聞いた処《ところ》によると、皆《みんな》が酔《よ》っぱらってブリッジにいると、中村さんを始め女のひと達が二三人あがって来た。それをこちらが不良学生みたいに取囲んで、酔った勢いで、ワアワア言っていると、中村さんが、真っ先に泣きだし、それを折悪《おりあ》しく来かかったTコオチャアに見つけられ、みんなはその場で叱責《しっせき》されたばかりでなく、Tさんは主将の八郎さんに告げたので、八郎さんがまたみんなを呼びつけて烈火《れっか》のように怒《いか》り、自分から先に髪を刈って坊主になったので、皆
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