が燃えているように熱く、空っぽでした。もう、駄目《だめ》だと諦《あきら》めかけているうち、ひょッとしたら、さっき家で、蒲団を全部、拡《ひろ》げてみなかったんじゃなかったか、という錯覚《さっかく》が、ふいに起りました。そうなると、また一も二もありません。一縷《いちる》の望みだけをつないで、また車をつかまえると「渋谷《しぶや》、七十銭」と前二回とも乗った値段をつけました。
 と、その眼のぎょろっとした運転手は「八十銭やって下さいよ」とうそぶきます。場所が場所だけに、学生の遊里帰りとでも、間違えたのでしょう、ひどく反感をもった態度でしたが、こちらは何しろ気が顛倒《てんとう》しています。言い値どおりに乗りました。
 ぼくは、車に揺《ゆ》られているうち、どうも、はじめの運転手に盗《と》られたんだ、という気がしてきました。(彼奴《あいつ》に一円もやった。泥棒《どろぼう》に追銭とはこのことだ)と思えば口惜《くや》しくてならない。たまりかねて、「ねエ、運転手君。……」と背広がなくなったいきさつを全部、この一癖《ひとくせ》ありげな、運転手に話してきかせました。
 すると、彼は自信ありげな口調で、「そりや
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