ん、なんて、阿呆《あほ》らしいわ」ぼくも、合槌《あいづち》うって「すこし、変ですね」と言えば、あなたも「ほんとうにつまらんわア」中村嬢は、益々雄弁《ますますゆうべん》に「ほんとに嫌《いや》らし。山田さんや高橋さんみたいに、仰山《ぎょうさん》、白粉《おしろい》や紅をべたべた塗《ぬ》るひといるからやわ」と、なおも小さな唇をつきだします。ぼくは只《ただ》、中村さんに喋《しゃべ》らしておいて、心のなかでは、つまらない、つまらない、と言い続けていました。
 やがて、あなたは、剽軽《ひょうきん》に、「こんなにしていて、見つけられたら大変やわ、これ上げましょ」と、ぼくの掌《てのひら》に、よく熟《う》れた杏の実をひとつ載《の》せると、二人で船室のほうへ駆《か》けてゆきました。ぼくも、杏の実を握《にぎ》りしめ、くるくると鉄梯子《てつばしご》をあがって、頂辺《てっぺん》のボオト・デッキに出ました。
 太平洋は、日本晴の上天気。雲も波もなく、ただ一面にボオッと、青いまま霞《かす》んでいます。ぼくは、手摺《てすり》に凭《もた》れかかって、杏を食べはじめました。甘酸《あまず》っぱい実を、よく眺《なが》めては、食
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