愛の手紙など空想して、コオルドビイフでも噛《か》んでいるのです。メニュウには、殆《ほとん》ど錦絵《にしきえ》が描《えが》かれています。歌麿《うたまろ》なぞいやですが、広重《ひろしげ》の富士と海の色はすばらしい。その藍《あい》のなかに、とけこむ、ぼくの文章も青いまでに美しい。ところで、あなたはパセリなど銜《くわ》えながら、時々こちらに、ちらっと笑いかけてくれるのでした。
 夜は、概《がい》して平安一路な航海、月や星の美しい甲板で、浴衣《ゆかた》がけや、スポオツドレスのあなたが、近くに仄白《ほのじろ》く浮いてみえるのを、意識しながら、照り輝く大海原《おおうなばら》を、眺めているのは、また幸福なものでした。
 なかでも、わけて愉しかったのは、昼食から三時までの練習休みの時間、大抵《たいてい》のひとが暑さにかまけて、昼寝《ひるね》でもしているか、涼《すず》しい船室を選んで麻雀《マアジャン》でも闘《たたか》わしているのに、ぼくは炎熱《えんねつ》で溶《と》けるような甲板の上ででも、あなたや内田さんと、デッキ・ゴルフや、シャブルボオドをして遊んでいれば、暑さなど、想《おも》ってもみない、楽しさで充実
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