すぐ考えて、それが如何《いか》にも、女性を穢《けが》す、許されない悪巫山戯《わるふざけ》に、思えたのです。
 ぼくの番になったら、美辞|麗句《れいく》を連ね、あなたに認められようと思っていたのに、恥《はず》かしがり屋のぼくは、口のなかで、もぐもぐ、姓《せい》と名前を言ったら、もうお終《しま》いでした。
 あなたの番になると、あなたは、怖《お》じず臆《おく》せず明快に、「高飛びの熊本秋子です」と名乗って着席しました。ぼくには、その人怖じしない態度が好きだった。
 それから何日、経《た》ったでしょう、ぼくはその間、どうしたらあなたと友達になれるかと、そればかりを考えていました。前にも言ったとおり、恥かしがりで孤独《こどく》なぼくには、なにかにつけ、目立った行為《こうい》はできなかった。
 ある夜、船員達の素人芝居《しろうとしばい》があるというので、皆《みんな》一等食堂に行き、すっかりがらんとしたあとぼくがツウリスト・ケビンの間を歩いていますと、仄明《ほのあか》るい廊下《ろうか》の端《はず》れに、月光に輝いた、実に真《ま》ッ蒼《さお》な海がみえました。と、その間から、ひょいと、あなたの顔が、
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