でなによりですと、喜んでもあげたかった。
が、驚《おどろ》きのほうが強く、まじまじ目を見開いているぼくの顔にあなたは「ぼんち、今晩は」と笑いかけ、寂《さび》しさに甘えようとしているぼくの表情が判《わか》ると、ふッと身体《からだ》を乗りだし「そんなとこで、なにしてんの。ホホ……」と少しヒステリカルに笑い、顔見合せると急に笑い止《や》んで、やるせない沈黙《ちんもく》の瞬時《しゅんじ》が流れましたが、ふっと表情をかえたあなたは「ぼんち映画みに行かないの」といい棄《す》てたまま、くるりと身を翻《ひるが》えし、甲板《かんぱん》の端《はし》の映画場のほうへ行ってしまいました。
機械的に、そのあとから、ぼくも跳《は》ねおき、活動を見に急いだのです。
映画は、むかし懐《なつか》しい大河内伝次郎主演、辻吉朗監督『沓掛《くつかけ》時次郎』でありました。ところは太平洋の真唯中《まっただなか》、海のどよめきを伴奏《ばんそう》にして、映画幕は潮風にあおられ、ふくれたり、ちぢんだりしています。見物人は船客一同に加えて、満天の星と、或《ある》いは、海の鱗族《うろくず》共ものぞいているかも知れません。
ぼくは
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