した小説の悪影響《あくえいきょう》もあったのでしょう。ぼくは冷たい風が髪《かみ》をなぶるのに、やッと気がつきかけたが、もうなんとしても、背広は出てこないという点に、考えがぶつかると、やはり死の容易さに、惹《ひ》かれてゆきます。ぼくは、なにか、ほかの方法で死にたいと、思いました。身投げは泳げるし、鉄道自殺は汚い、ああ、もう、と目茶苦茶な気持に駆りたてられ、合宿横にある交番に、さしかかると、「オイ」と巡査《じゅんさ》に呼び咎《とが》められました。それ迄《まで》は、これから、向島の待合に行って、芸者と遊んだ末、無理心中でもしようかという虫の良い了見《りょうけん》も起しかけていたのですが、ハッと冷水をかけられた気が致《いた》しました。
 こんな夜|遅《おそ》く、学生がへんな恰好《かっこう》でうろついていたからでしょう。巡査は、ぼくの傍《そば》にきて、じっとみつめてから、なんだという顔になり、「ああ君はWの人じゃないか」といい、大学の艇庫ばかり並んでいる処《ところ》ですから、ボオト選手の日頃の行状を知っていて、「いいねエ、君等は、飲みすぎですか」と笑いかけます。ぼくの蒼《あお》ざめた顔を、酒の故
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