く》な愛情、ろくろく話さえしなかった仲でしたから、あなたはもう忘れているかもしれない。しかし、ぼくは今日、ロスアンゼルスで買った記念の財布《さいふ》のなかから、あのとき大洋丸で、あなたに貰った、杏《あんず》の実を、とりだし、ここ京城《けいじょう》の陋屋《ろうおく》の陽《ひ》もささぬ裏庭に棄《す》てました。そのとき、急にこうしたものが書きたくなったのです。
これはむろん恋情《れんじょう》からではありません。ただ昔《むかし》の愛情の思い出と、あなたに、お聞きしたかったことが、聞けなかった心残りからです。
思わせぶりではありますがその言葉は、この手記の最後まで、とっておかして下さい。
二
あなたにとってはどうでしょうか、ぼくにとって、あのオリムピアヘの旅は、一種青春の酩酊《めいてい》のごときものがありました。あの前後を通じて、ぼくはひどい神経|衰弱《すいじゃく》にかかっていたような気がします。
ぼくだけではなかったかも知れません。たとえば、すでに三十近かった、ぼく達のキャプテン整調の森さんでさえ、出発の二三日前、あるいかがわしい場処へ、デレゲェション・バッジを落してきた
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