、また尾鰭《おひれ》について出しゃばり、浪花節を下品だとけなしてから、子供の頃より好きだった歌舞伎《かぶき》を熱心に賞《ほ》めると、しとやかに坐っていた奥《おく》さんが、さも感に堪《た》えたと言わぬばかりに、「そのお若さでお芝居《しばい》がお好きとはお珍《めずら》しい。御感心ですこと」とお世辞を言ってくれるので、ぼくは一層、有頂天になるのでした。お嬢さんはN女子大の国文科を出たとかで、芝居の話も詳《くわ》しく、知ったか振りをしたぼくが南北《なんぼく》、五瓶《ごへい》、正三、治助《じすけ》などという昔《むかし》の作者達の比較《ひかく》論をするのに、上手な合槌《あいづち》を打ってくれ、ぼくは今夜は正《まさ》に自分の独擅場《どくせんじょう》だなと得意な気がして、たまらなく嬉《うれ》しかったのです。
沢村さん始め皆は、いつになくお喋《しゃべ》りなぼくを呆《あき》れてみつめ(大坂《ダイハン》が、エヘ)とさも軽蔑《けいべつ》したような表情をするのでしたが、その夜は、明らかに教養でみんなを圧倒《あっとう》した態《てい》なのも嬉しく、なおも図にのって、お嬢さんに媚《こ》びるように、「吉右衛門《きちえもん》や菊五郎《きくごろう》はどうも歌舞伎のオオソドックスに忠実だとはおもえません。まア羽左衛門《うざえもん》あたりの生世話《きぜわ》の風格ぐらいが――」など愚《ぐ》にもつかぬ気障《きざ》っぽいことを言っていると、突然《とつぜん》、大広間の奥からけたたましいジャズが鳴り響《ひび》き、続いて、「どうぞ皆さんダンスにお立ち下さい」というマイクロフォンの高声がきこえて来ました。すると奥さんはたいへん丁寧《ていねい》にお嬢さんに向い、「佐保子や、お前坂本さんにダンスをお願いしなさい」と言われたので、ぼくは一遍《いっぺん》に冷汗三斗《れいかんさんと》の思いがしました。改めてお嬢さんの金糸銀糸でぬいとりした衣裳《いしょう》や、指に輝《かがや》く金剛石《ダイヤモンド》、金と教養にあかし磨《みが》きこんだミルク色の疵《きず》ひとつない上品な顔をみると、ぼくはダンスは下手だし、その手をとるのも恐《こわ》くなり、「駄目《だめ》です。ぼくは踊《おど》れないんですから」と消え入りそうな声で、吃《ども》り吃りいいました。お嬢さんはかすかに片頬《かたほお》でほほえむと折からプロポオズして来た陸上のF氏の肩にかるく手をかけ、踊って行ってしまいました。
急に悄気《しょげ》てしまったぼくが片隅でひとりダンスを拝見していると、いつの間にかぼくの横に、油もつけていないバサバサの長髪《ちょうはつ》を無造作に掻《か》きあげた、血色の悪い小男の青年がやって来て立っていました。袴《はかま》もつけず薄汚《うすよご》れた紺絣《こんがすり》の着流しで、貧乏臭《びんぼうくさ》い懐《ふとこ》ろ手をし、ぼんやりダンスをみているけれど、選手ではないし、招待側の邦人のひとりかとおもい、「今晩は、どうも――」と挨拶《あいさつ》をすると「いやいや」と周章《あわて》て、ぼくの顔をみて哀《かな》しい薄笑いをして、「ぼくは単なる見物人ですよ」と言いました。
畳《たた》みかけて、「米国はもうながいんですか」ときけば、「いやまだ上陸して一週間位ですよ」「なにか勉強に」と続けると、「いえいえ遊んでいるんです。日本は煩さくって」「こちらに御親類でも」と尚《なお》煩さくいうと、「いやなにもありません。行き当り飛蝗《ばった》とともに草枕《くさまくら》」と最前の浪花節の句をいってから笑いました。ではさっきから何処《どこ》にもぐっていたのかと不審《ふしん》になり、それとなく尋《たず》ねようとした刹那《せつな》、ぼくは彼の懐中《かいちゅう》にねじこまれている本が前田河広一郎《まいだこうひろいちろう》の※[#二重かっこ開く]三等船客※[#二重かっこ閉じ]なのを見て、ハッとして、「文戦はやはり盛《さか》んにやっていますか」ときいてみると、「えッ」と吃驚《びっくり》したように問い返してから、「いや、ぼくは左翼《さよく》は嫌いだから――」と歪んだ笑いかたをしました。
ぼくはなんだか、その青年にニヒリズムを感じて、寂《さび》しく、そして、それが米国最後のいちばん強い印象となりました。
二十一
行きは、よいよい帰りは恐《こわ》い、と子供の頃《ころ》うたう童謡《どうよう》があります。あの歌のように人生、行きと帰りとではずいぶん気持が違《ちが》うものです。再び、サンピイドロの港、春洋丸の甲板《かんぱん》で、見送りに来てくれた在留|邦人《ほうじん》の方々がうち振《ふ》る日の丸の、小旗の波と五色のテエプの雨を眺《なが》めながら、ぼくはなんともいえぬ佗《わび》しさでした。
勝って還《かえ》る人達はとにかく元気でした。陸上の東田良平が
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