すか」と一言。泣きッ面《つら》をみられないようにまた暗い甲板に。
 靄《もや》の深い晩なので、Aデッキから、ボオト・デッキに上がり、誰にも見られず、索具《さくぐ》の蔭で悲しもうと、近づいて行くと、向うから、靴音《くつおと》がきこえて来た。
 やがて、靄の底から、ぼんやり現われたのは、立派な白髯《しらひげ》を生《はや》した、紅毛のお爺《じい》さんでした。ぼくのしょんぼりした姿をみると、にこにこ笑いながら「How do you do?」と太い声できく。外人と話し合うのは初めてでしたが、先方の好意が感ぜられて嬉《うれ》しく、「Thank you, Sir. I'm very well,」と、サアをつけました。「That's good.」と、お爺さんは、重々しくうなずいて、「Are you a delegation of Japanese Olympic Team?」と尋ねます。「Yes, I am.」と言ってから、ニッコリ笑ってしまいました。すると、「What's team?」と訊《き》いたような気がするので、「Boat Crew.」と答えますと、「What's?」と小首を傾《かたむ》けます。おや、間違ったかなと想い、出来るだけ叮嚀《ていねい》に、「Please say once more.」と頼むと、からから笑い、サッカアと蹴《け》る真似《まね》をしたり、ボクシング、と撲《なぐ》る真似をします。やはりそうかと、朗《ほが》らかになり、「I am a oarsman Rowing.」と漕ぐ恰好をすると、大袈裟《おおげさ》な身振りで、「Oh! I see. It's really splendid!」とぼくの肩《かた》を叩《たた》いてから、顔を覗《のぞ》き込み、「What's the matter with you?」と気づかってくれる様です。こうなれば、なんでも叮嚀に言うに限ると思いましたから、「Thank you, Sir. Never mind, please. I am very glad to see you. How a lovely night!」とか、こんな靄の深い、厭《いや》な晩なのも忘れ、お世辞をいいました。と、お爺さんは、またアッハーと笑い、「I think so, too.」と答えると、「O.K. boy, good night.」と笑い続け去って行きます。
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