暫く、靴音が遠くなってから、とても若々しいハミングが、フウフウフフン、ウフフフフンとか聴《きこ》えて来ました。いつか佐藤が、食堂で、亜米利加《アメリカ》人のハミングの真似をして、事務員に叱《しか》られた事を思い出し、ぼくの出鱈目《でたらめ》英語も可笑《おか》しく、ぼくはプウと噴《ふ》き出すと、すっかり気分がよくなって、寝に帰ったのです。
 しかし、翌日も、またその次の日も同じような皆の悪意が露骨《ろこつ》で、病的になったぼくの神経をずたずたに切り苛《さい》なみます。あなたに、逢《あ》えないまま、海の荒れる日が、桑港《サンフランシスコ》に着くまで、続きました。

     十二

 ぼくは、もう日本に帰る迄《まで》、あなたとは口を利《き》くまいと、かたく心に誓《ちか》ったのです。日本を離《はな》れるに随《したが》って、日本が好きになるとは、誰しもが言う処《ところ》です。幼いマルキストであったぼくですが、――ハワイを過ぎ、桑港《サンフランシスコ》も近くなると、今更《いまさら》のように、自分は日本選手だ、という気持を感じて来ました。
 その頃《ころ》、ぼくは、人知れず、閑《ひま》さえあれば、バック台を引いて、練習をしていました。ようやく静まってきた波のうねりをみながら、一望千里、涯《はて》しない大洋の碧《あお》さに、甘《あま》い少年の感傷を注いで、スライドの滑《すべ》る音をきいていたのも、忘れられぬ思い出であります。
 船が桑港《サンフランシスコ》に入る前夜、ぼくは日本を発《た》つとき、学校の先生から頼《たの》まれた、羅府《ロスアンゼルス》にいる先生の親戚《しんせき》への贈物《おくりもの》、女の着物の始末に困って、副監督《ふくかんとく》のM氏に相談しました。M氏は、それを誰か女の選手に、彼女《かのじょ》の持物として、預かって貰《もら》えと言います。浅ましい話ですが、ぼくはそれをきくと、眼の色が変るほど、興奮しました。あなたに預かって貰えたら、と思ったのです。口を利かずともどんな形にでも、あなたと繋《つな》がっているものが欲《ほ》しかった。ぼくは、その着物に潜《ひそ》ませる、恋文《こいぶみ》のことなど考えて、その夜も、また眠《ねむ》れませんでした。
 もう二時間|程《ほど》で、桑港《サンフランシスコ》に入るという午後、ぼくは、M氏から、誰という名前はきかず、その着物を預
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