も》い出《で》は、レイの花からでした。
第一装《だいいっそう》のブレザァコオトに着更《きが》え、甲板《かんぱん》に立っていると、上甲板のほうで、「鱶《ふか》が釣《つ》れた」と騒《さわ》ぎたて、みんな駆《か》けてゆきました。しかし、ぼくは漸《ようや》く、雲影模糊《うんえいもこ》とみえそめた島々の蒼《あお》さを驚異《きょうい》と憧憬《どうけい》の眼でみつめたまま、動く気もしなかったのです。
未知の国を初めてまのあたり眺《なが》める感動と、あなたへの思慕《しぼ》とがありました。その頃《ころ》、漸くにして、自分の技倆《ぎりょう》の未熟さはさておき、とにかく日の丸の下に戦わねばならぬ、自分の重責を、あなたへの思い深まるに連れて、深く自覚自責するものがありました。ぼくは、あなたへの愛情をどうしても、帰国後まで、大切に、蔵《しま》っておかねばならぬと、おもった。然《しか》し、具体的なことはまだ一言も言わなかったし、言えもしなかった。ぼくの焦躁《しょうそう》はひどいものでした。
ようやく波止場も見えてきて、全員集合を命ぜられたとき、いつもの様に、ぼくの眼は、あなたの姿を探していました。或《あ》る人達が、わめきちらす、女子選手達のお尻《しり》についての無遠慮《ぶえんりょ》な評言を、ぼくは堪《た》えられないような弱い気になって、聞くともなく聞いていると、いちばん後《おく》れてあなたが、うち萎《しお》れた姿をみせた。
あなたは、先頃の明るさにひきかえ、一夜の中に、醜《みにく》く、年老《としと》って、なにか人目を恥《は》じ、泣いたあとのような赤い眼と手に皺《しわ》くちゃの手巾《ハンカチ》を持っていました。ぼくは、あなたが、てっきりぼく達のことについて、なにか言われたのではないかと、勝手な想像をして、黯然《あんぜん》となったのです。おまけに、そのとき、あなたはぼくが逢《あ》ってから、初めて厚目に、白粉《おしろい》をつけ、紅を塗《ぬ》っていた。その田舎娘《いなかむすめ》みたいなお化粧《けしょう》が、涙《なみだ》で崩《くず》れたあなたほど、惨《みじ》めに可哀想《かわいそう》にみえたものはありません。
あたかも、直《す》ぐそのあとで、ぼくの胸には、歓迎|邦人《ほうじん》からの、白い首飾《くびかざ》りの花が掛《か》けられました。有名な選手などは、二つも三つも掛けて貰《もら》っていましたが、
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