ぼくが洋装をした田舎の小母《おば》さん然たる奥《おく》さんに、にこにこ笑いながら掛けて貰ったレイの花は、ひとつでも堪えられないくらい芳烈《ほうれつ》な香《かお》りを放っていました。ぼくは、その匂《にお》いのなかに、恋情《れんじょう》の苦しさを甘《あま》くする術《すべ》を発見したのでした。
 それから、間もなく催《もよお》して頂いた、ハワイの官民歓迎会の、ハワイアン・ギタアと、フラ・ダンス、いずれも土人の亡国歌、余韻嫋々《よいんじょうじょう》たる悲しさがありましたが、ぼくは、その悲しさに甘く陶酔《とうすい》している自分を、すぐ発見して、なにか可憐《いと》しく思ったのです。ハワイでは、あなたと一度も、話し出来ませんでしたが、ぼくは、美しい異国の風景のなかに、あなたの姿を、まぼろしに描《えが》くだけで、満足でした。
 ぼく達が日本語よりも、英語がうまいのを自慢《じまん》にしている運転手君――というのは、ぼく達が波止場から邦人の提供してくれた、自動車に乗りこむと、早速、英語で話しかけて来て、皆が、第二世君と思っていたのに、土人かしらと、些《いささ》か唖然《あぜん》としていると「あなた達、英語出来ないんですねエ」と軽蔑《けいべつ》したように、初めて日本語を使った――その小生意気な運転手君に連れられて一同と共に、奇勝ノアノパリに向う途中《とちゅう》、もの凄《すご》い大雷雨《だいらいう》に、襲《おそ》われました。が、忽《たちま》ち、からりと晴れると、なんとその透《す》き徹《とお》るような碧《あお》い空の見事さ。雨に濡《ぬ》れ、緑のいっそう鮮《あざ》やかに光り輝《かがや》く、草木のあいだに、撩乱《りょうらん》と咲き誇《ほこ》っている、紅紫黄白《こうしこうはく》、色とりどりの花々の美しさ、あなたは何処《どこ》にでもいる気がふッと致《いた》しました。
 ぼくはものを感じるのは、まあ人並《ひとなみ》だろうと、思っていますが、憶《おぼ》えるのは、面倒臭《めんどうくさ》いと考える故《ゆえ》もあって、自信がありません。
 それでも、ノアノパリの絶壁《ぜっぺき》上に立ち、世界で三番目に強いと言われる風速何十|米《メエトル》かの突風《とっぷう》、顔をたえず叩《たた》かれ上衣《うわぎ》をしょっちゅう捲《ま》くられているような烈風を受けつつ、眺めた景色は髣髴《ほうふつ》と、今でも浮《うか》んできます。
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