《じゅうじつ》した時間でした。
 飯を食うと、ぼくは直ぐAデッキに出て、コオチャア黒井さんが昼寝している横の、デッキ・チェアに腰《こし》を降し、瀝青《チャン》のように、たぎった海を見ています。暫《しばら》く経《た》ってから、黄色いブラウスに白いスカアトをはいた、あなたと、赤いベレエ帽に、紺の上衣《うわぎ》を着た内田さんとが、笑いながらやって来ます。内田さんは、ぼくに、「ぼんち、デッキ・ゴルフやろう」と言ってから、今度は黒井さんの手をひっぱって、無理に起します。黒井さんは、「ああァ」と大欠伸《おおあくび》をしてから、周囲をみまわし、「大坂《ダイハン》とか、よし、また、ひねってやろう」とゆっくり立ち上がるのでした。
 そこで、あなたと内田さんの組と、ぼくと黒井さんの組が対抗してゲエムを始めます。ぼくにとって、勝負なぞ、初めは、どうでも好いのですが、やはり良い当りをみせて、あなたの持ち輪を圏外《けんがい》の溝《みぞ》のなかに、叩き落したときなぞ、思わず快心の笑《え》みがうかぶ、得意さでした。
 ことに、ぼくをいつも庇護《ひご》してくれる黒井さんが、そういうとき、「うまい」と一言、褒《ほ》めてくれるのが、ふだんクルウの先輩達が、ぼくをまるで、運動神経の零《ゼロ》なように、コオチャアに言いつけているのを知っているだけ、とても嬉しかったのです。
 勿論《もちろん》、あなた達のほうでも、ぼく達を負かしたときには、手を叩いて、嬉しがっていた。勝負の面白さが、純粋《じゅんすい》に勝負だけの面白さで、その時には、恋も、コオチャアも、女も、利害も、過去も未来もなかったのです。
 後年、ぼくは、或《あ》る女達と、もっと恋愛《れんあい》らしい肉体的な交際を結びました。しかし、それが、所謂《いわゆる》恋愛らしい、形を採ればとるほど、ぼくは恋愛を装《よそお》って、実は、損得を計算している自分に気づくのでした。
 おもうに、あのとき、燃える空と海に包まれ、そして、焼きつくような日光をあびた甲板に、勝っているときは嬉しく、負けたときは口惜《くや》しく、遊びの楽しさの他《ほか》には、なにもなかった。ぼくは、本当に、黄金の日々を過していたのでした。
 もう、あの日当りでのデッキ・ゴルフの愉しさは、書くのを止《や》めましょう。もっと、純粋な愉しさがあって、書けば書くほど、嘘《うそ》になる気がします。
 し
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