かし、この黄金の書に、ものを書く時間は短かく、これと殆ど同時に、ぼくには、大きな不幸が忍《しの》びよって来ていました。それは、まず第一に、ほかの人間達が、ぼく等の友情のなかに、影《かげ》を落して来だしたことです。次には、ぼく達が、他の人達に注目されるほど、仲良くなって行ったことです。

     七

 ある日、写真機を持出した村川が、ぼくを呼んで、あなたと内田さんの写真をとるから誘《さそ》うてきてくれ、と言います。ぼくが「いやだ」と断ると、「なんでい、熊本は、お前のいう事なら、きくよ」と笑います。
 結局、あなた達の写真を貰《もら》える嬉《うれ》しさもあり、白地に、紫《むらさき》の菖蒲《しょうぶ》を散らした浴衣《ゆかた》をきたあなたと、紅《あか》いレザアコオトをきた内田さんを、ボオト・デッキの蔭《かげ》に、ひっぱり出し、村川が、写真を撮《と》り、また、ぼくと村川の写真を、内田さんが撮りました。
 二三日|経《た》って、出来上がった写真を、交換《こうかん》し、サインもし合っていました。あなたの顔は、眼が円《まる》く、鼻がちんまりして、色が黒く、いかにも、漁師の娘《むすめ》さんといった風だし、内田さんの顔は、また、色っぽい美人の猫《ねこ》、といった感じに撮れていたので、皆《みんな》で、それを指摘し合っては、騒々《そうぞう》しく笑っていると、東海さんが通りかかり、ものも言わず、写真をとり上げ、一寸《ちょっと》見るなり、「フン」と鼻で笑って、抛《ほう》り出し、行ってしまった。
 その晩でしたか、七番の坂本さんが、女子選手のブロマイドを買い、皆に見せながら、一々名前をきいていましたが、なかに分らないのがあって、誰か、名簿《めいぼ》を取りに立とうとすると、東海さんが、突然《とつぜん》、大声で、「大坂《ダイハン》に聞けよ。大坂は、女の選手のことなら、とても詳《くわ》しいんだ」といいます。昼間の写真のことだなと、ぼくは胸に応《こた》えました。すると、松山さんが、「ほう、大坂《ダイハン》はそんなに、女子選手の通《つう》なんか」といったので、皆、笑いだしたけれど、ぼくには、そのときの、誰彼《だれかれ》の皮肉な目付が、ぞっとするほど、厭《いや》だった。
 又《また》ある日、ぼくが、練習が済み、水を貰おうと、食堂へ降りて行くと、入口でぱったり、あなたと同じジャンパアの中村さんに、逢《あ》
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