ー》[#「起上り」にルビ]が、おくれて、叱《しか》られるのですが、あの数日は、すばらしい好調でした。
 いつもは隣《となり》のバック台に、合わそうとすればする程《ほど》合わないのが、その頃は合わそうとしないでも、いつの間にかチャッチャッとリズムが出てくるのです。身も心も浮々《うきうき》していて、普段《ふだん》は音痴《おんち》のぼくでも、ひどく音楽的になれたのでしょう。そのリズムに乗ってしまえばしめたもので、カタンと足で蹴り身体を倒《たお》した瞬間《しゅんかん》、もう上半身は起き上がり、スウッと身体は前に出てゆきます。手首をブラッと突《つ》きだし、全身が倒れた反動で、ひとりでに進むのをゆるくセエブしながら、みはるかす眼下ひろびろと、日に輝く太平洋が青畳《あおだたみ》のように凪《な》いでいるのを見るのは、まことに気持の好《よ》いものです。
 そんな時、監督《かんとく》に廻って来た総監督の西博士が、コオチャアの黒井さんに、「みんな、坂本君位、身体があれば大したものだなア」と褒《ほ》めて下さるのを聞くと、いつもクルウの先輩《せんぱい》連からは、「大きな身体を、持てあましていやがって――」など言われているだけに、思わず、ハッとあがってしまい、又《また》、普段の地金が出るのではないかと固くなるのでした。
 ある日、バック台を引いたあとで、腕組みをしながら、あとの人達のやるのを見ていて、ひょいと眼をあげると、あなたの汗《あせ》ばんだ顔が、体育室の円窓越しに、此方《こちら》を眺《なが》めていました。ぼくは直《す》ぐ、恥《はず》かしくなって、視線をそらせようとすると、あなたも、寂《さび》しいくらい白い歯をみせ、笑うと、窓|硝子《ガラス》をトントン拳《こぶし》で叩《たた》く真似《まね》をしてから、身をひるがえし逃げてゆきました。
 それからと云《い》うものは、ぼくは、バック台をひきながらも、背後の体育室のなかで、かすかに、モーターの廻り出す音でも、聞えると、あなたが来ているかなと、胸が昂《たか》まるのでした。
 いつでしたか、いちばん後まで残り、バック台を蔵《しま》ってからも、皆、降りて行ってしまうまで海を眺めるふりをし、誰もいなくなってから、体育室に入ってみました。
 すると、あなたと、内田さんが、木馬に乗って、ギッコンギッコンと凄《すさ》まじい速さで、上がったり下がったりしています
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